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【時視各角】平凡な市民の「光化門アンガージュマン」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.10.09 14:06
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国が2つに分裂しているのを現場で実際に見ると嘆かわしかった。光化門(クァンファムン)と瑞草洞(ソチョドン)は完全に「別の国」だった。光化門では「チョ・グク(法務長官)は辞めろ」「チョ・グクを逮捕しろ」を叫び、瑞草洞では「チョ・グクを守れ」 「検察改革」という声が響いた。現在のところ、この心理的内戦状態を解消する人は帝王的権限を持つ大統領しかいない。

文在寅大統領はそのようにする意思がないようだ。一昨日、「国民が直接意思表示をするのは代議民主主義を補完する直接民主主義行為として前向きな側面もある」と述べた。なぜ文大統領は片方の民心に傾いていると見られるような発言をしたのだろうか。ひょっとして瑞草洞にも少なくない市民が集結し、チョ・グク長官を支持したと判断したからだろうか。そうであれば大きな過ちだ。

「チョ・グク事態」は私募ファンド投資、熊東(ウンドン)学院問題、子どもの入学過程で希代の反則と偽善を見せた人物を長官に起用したのが発端であり、代議民主主義とは関係がない。にもかかわらず文大統領はチョ・グク長官の去就にはいかなる言及もせず、チョ・グク事態の責任を外部に転嫁した。これでは広場の叫びは終わらないだろう。

その根拠は光化門で見られた「3つの現象」だ。1つ目、光化門集会は保守陣営だけの集会ではなかったという事実だ。人波には平凡な市民が多かった。見ればすぐに分かる。手をつないだ中年の夫婦、子どもを連れた若い夫婦は、帽子に登山服という動員された人たちとは雰囲気が違う。休日を返納して熱いアスファルトの上に立つことは、動員したからといってできることではない。

これに対して瑞草洞は企画された意図によって乱れることなく動いていた。あちこちでプラカードを配られ、ソウル市は光化門にはない臨時トイレ30カ所を提供した。地上波のヘリコプター・クレーン放送支援まで受け、官製集会の性格が濃厚だった。煽動的という指摘を避けにくい。

2つ目、光化門に出てきた市民はすべて忍耐心の限界を越えているという事実だ。文政権の無能と偽善に対してだ。「国らしい国」「一度も経験したことがない国」「機会は平等、過程は公正、結果は正しい国」を約束した政府だった。さらに青瓦台(チョンワデ、大統領府)に雇用状況ボードまで設置したが、国民に返ってきたのは雇用惨事と貧富の差の拡大だった。それで市民は怒った。

仁川(インチョン)から来たというキム・スジンさんは3日の光化門集会でこう語った。「5人の子どもを育てるこのおばさんが見ても国がおかしくなっている。経済、安保、国家関係、教育、どれ一つ問題がないものはない。週52時間勤務制で働きたくても働けず、所得主導成長で子どもはバイトも見つけられない」。さらに「それよりも我慢できないのはチョ・グクの偽善と政権がかばう姿だ」と怒りを表した。

光化門で確認した3つ目の事実は、1940-50年代にフランス社会を風靡したアンガージュマン(engagement)が広がっているという事実だ。アンガージュマンは正しくない権力に対抗して闘争する知識人の社会参加だ。チョ・グク長官が話したように長官に就くことが本当のアンガージュマンではない。正義を叫びながらチョ・グク長官任命の撤回を要求する約1万人の大学教授が時局宣言に参加したことこそが、ジャン・ポール・サルトルが言った良心的知性のアンガージュマンだ。光化門の平凡な市民も普段は自身の場所にいたが、不正に耐えられず街に出てきたためアンガージュマンと見なければいけない。

きょう光化門にはまた市民が集まる。文政権が「正義回復」という民心に耳をふさいでいるからだ。それだけではない。李洛淵(イ・ナギョン)首相は「光化門集会の暴力を厳重に処理すべき」と暴力性を浮き彫りにした。暴力は許されないが、民心を踏みにじることはさらに大きい暴力となる。瑞草洞集会は「自発的参加」とし、光化門集会は「内乱煽動」という二重の基準こそが嘘と偽善だ。

光化門は解放と4・19革命に続いて生きた政権も交代させた国民の広場だ。文政権は平凡な市民が参加する「光化門アンガージュマン」の意味を重く受け止めなければいけない。

キム・ドンホ/論説委員

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