【中央時評】乱麻の韓国外交、難航の大韓民国(II)(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.08.21 11:06
世界と比較した時、韓半島(朝鮮半島)はひときわ長期の平和を享有した。しかし、ひとたび侵略を受ければ惨禍は想像を絶した。帝国と帝国、大陸と海洋、文明と文明が交差する境界国家として、機会と宿命を共に与えられた地政学的位置のためだった。この点を見抜いた先賢は韓半島問題を「腹背受敵」構図で把握する。前後すべて敵だという認識だった。これは累卵の危機だった東アジア7年戦争(1592-98)と日清、日露が競っていた韓末に絶頂に達した。
近代への進入は韓半島の「腹背受敵」構図を世界化した。先立って世界に目を開いた閔泳煥(ミン・ヨンファン)はロシアへの備えについて『千一策』の最初の条目で言及する。朴珪寿(パク・ギュス)は戦闘的保守的民族主義が噴出していた時、日本との平和的開港を主張する。朴珪寿・閔泳煥・安重根(アン・ジュングン)は国際公法・東洋平和・韓日共存・韓国独立を主唱した三一運動の模範的な先駆だったのだ。