<Mr.ミリタリー>米国と日本の安保利益ラインが北朝鮮に移動している(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.08.02 13:35
1888年12月、旧日本帝国陸軍卿を務めた山縣有朋はオーストリアのウィーンを訪れた。山縣は当時、ウィーン大学政治経済学教授だったローレンツ・フォン・シュタインに会った。シュタインは山縣より先に会った伊藤博文の心を引きつけた人物だ。山縣は地方制度の調査のために欧州に行ったが、戦略家のシュタインに会わなければならなかった。極東への進出を狙うロシアへの対応策が必要だからだ。当時、清は日清戦争(1894年)で衰退し、韓半島(朝鮮半島)の朝鮮は有名無実だった。ロシアが極東まで膨張して韓半島に拡張すれば日本は未来を保障できなかった。
山縣は「シベリア鉄道が建設されれば日本はどうなるのか」とシュタインに質問した。当時の日本は対馬海峡と大韓海峡でロシア海軍を防ぐことができればよいと考えた。ところがロシアが1891年ごろウラジオストクにつながるシベリア鉄道を敷設するという噂が広まると、状況は変わった。シュタインは「ロシアが韓半島に下りてきて元山(ウォンサン)永興湾(ヨンフンワン)に港を建設すれば、そこが極東艦隊基地になるだろう」と答えた。教授の言葉は続いた。「日本から近い永興湾がロシアの基地になれば、日本の進退がかかる問題だ」と指摘した。(加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』)