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【噴水台】顔色と共感能力=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.06.07 11:45
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悪意を持って話したわけではないと思う。英語圏の人にとって韓国人の名前は発音し難い。女子ゴルフに関心がないかもしれない。考えるのは自由だ。だが、公の場所で多数に伝えられる発言をする時は責任を負ってほしい。US女子オープンゴルフ大会を控えて韓国女性ゴルファーを侮辱する発言をして厳しく非難されたゴルフコーチのハンク・ヘイニーのことだ。

米国の修正憲法第1条は「表現の自由」を保障する。ところが、これは刑事処罰の対象になるかの問題だ。非難されない自由まで保障するわけではない。表現の自由は幅広く認められるが、その表現にともなう非難をも甘受しなければならない。結局、「顔色」をうかがう必要があるということだ。

 
政治的正当性(Political Correctness)の時代(もちろん、これを不都合に思う人も多い)に公的発言は注意を注ぐ必要がある。ストレートな言い方と顔色をうかがわない言葉は「一寸の差」だ。雨が降る真夜中に川の水に溺れた人々を救う時間が短いというのは誰でも頭では理解している。だが、残念な惨事で悲しむ国民に「ゴールデンタイムは3分」とあえて言う必要はない。

様々な理由で記者らが非難を浴びるが、会議場の外にしゃがんで政治家の一言を待つ記者のほとんどは今日も最善を尽くしている。主権を委任された政治家が何を言い、どのような行動をするのか国民に伝えるためだ。椅子を明け渡すことまではしなくても「拭き掃除する」と言う必要はない。つまらない冗談は災難だ。

未来学者ジェレミー・リフキンは『限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭』(The Empathic Civilization、2009)で「人間が世界を支配する種になったのは優れた共感能力を持っているため」と書いた。「顔色」の洗練された言葉がまさに共感能力だ。

イ・ドンヒョン/産業1チーム次長

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