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【コラム】文化なのか、土建なのか? 博物館の政治学=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.04.18 08:44
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日本の初代帝国博物館総長の九鬼隆一は、「日本人は美を賞賛する能力を備えた文明人」としながら博物館を中心に置いた美術行政を主導した。美の具現体として文化財を公的なものと考え、博物館での展示を文明化の必須要素としたのだ。1人当たり国民所得3万ドル時代の韓国各地にも各種博物館とテーマ展示館が相次いで誕生している。特にソウルを含む地方自治体で地域の伝統文化を発掘し各種文化資本を拡充するという趣旨の下に博物館と展示館の新築と増築事業が活発だ。文化を体感する文明の公的空間が増えるという点は歓迎すべきことだ。だがその公的空間を何で満たし、何を記憶し象徴する空間にするのかは別の問題だ。博物館という看板を掲げたからとどの建物でも自然に文明の空間になるのではないためだ。

過去の政権が始めた世宗市(セジョンシ)の国立博物館団地造成事業は当初計画より遅れている。5つの国立博物館の開館日程は当初の2021年から2023年に、さらに2027年に延期された。子ども博物館を除く4カ所は具体的な建設計画さえ立てられていない。予算が不足しているためという。果たして予算だけの問題だろうか? 世宗市は最近子どもを含む600人に子ども博物館に関するアンケート調査をしたという。「需要者中心の参加型博物館企画」という名分からだ。だが博物館は子どもの好み通りに建設される遊園地ではないのではないか? この程度なら国庫330億ウォンをかけて新設する「国立」子ども博物館が「世宗市に子ども博物館の建物を作ろう」という土建政治学から始まったものではないかとの疑いを起こすのに十分だ。

 
子ども博物館がこのありさまで、着工計画すら立てられていない4つの国立博物館の事情は言うまでもない。地方ごとに伝統と特色を強調して誕生する地方自治体の博物館と展示館はまたどうなのか? 展示の質や公的空間としての完成度を備えたところは多くない。最小限の遺物にジオラマやバーチャルリアリティ体験で満たすのが常だ。雄壮な建物に比べ展示を企画し運営する専門学芸員をしっかりと置き、専門人材を養成することにはけちなことこの上ない。

華やかな建物を見せようと博物館を作るのではない。博物館は何を見せるのか、どのような歴史を記憶させ、どのような文化を指向するのかに関し尋ね疎通する公論の場を追求する公的意志の産物でなければならない。それだけ力を入れた準備が必要だ。文化を前面に掲げるが、自治体の博物館建設と拡充はひとまず建物から作ってみようという「建設事業」に傍点があるように見える。ピエール・ブルデューは知識と教養・高級文化を享有できる社会的背景を持つ人たちが文化資本を通じてこれを享受することのできない人たちと意図的に区別すると話した。博物館と展示館など公的文化空間が増えれば韓国社会にソウルと地方の「区別」は緩和され、文化資本の規模は拡大する可能性がある。だが「起承転-土建」の博物館増設ならば地方文化資本構築の理想はむしろブーメランになるかも知れない。

新設博物館の充実に対する悩みが必要な時点だ。韓服博物館には韓服がなければならず、昆虫博物館には昆虫がなければならない。遺物のない博物館は博物館ではない。各博物館は自分たちだけの文化資本構築を考えなければならない。博物館の建物を作るのに先立ち博物館の機能、これを管理して企画する人材運用計画を立てなければならない。展示の内容と質より建物作りに汲々とし、どれだけ雄壮に作るのか、大理石を敷くのか、天下りを何人使うかに苦心して本来の博物館の哲学とビジョンを後回しにしたのではないか振り返らなければならない。百貨店のように建物から作ってみよう、そうすればどうにでも満たすことができるだろうと考えるなら誤算だ。博物館はそれでも文化事業ではないかと言い逃れるのも無責任だ。

飛行機が発着しない空港と中身のない博物館新築は五十歩百歩だ。作ってみようというような「博物館政治」は将来の文化積弊になりかねない。博物館が文化で包装された選出職公職者の現代版功徳碑にすることはできない。

カン・ヒジョン/西江(ソガン)大学東亜研究所教授

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