【コラム】今日だけを生きるのか=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.03.27 16:41
一時、耳にたこができるほど聞いた言葉の一つが「捜査権調整」だ。警察や検察を取材する時はほぼ毎日のように耳にしたり口にしたりしていた。国民の多数が必要だと感じていたことだった。映画の中の検事は腐敗もしくは無能、あるいは両方である場合がほとんどだが、私たちは現実でもそのような検察の姿を非常に長い間、頻繁に見てきた。
しかし、最近は微妙な態度変化が感じられる。世論が静かになったうえに、バーニング・サン事態などで警察の信頼が崩れたのが理由のようだ。だが、捜査権調整はこのように揺れるほど簡単で浅い問題ではない。検察がしっかりと牽制(けんせい)を受けないまま犯した不正は私たちが抱えていた病弊だった。他の病気になったからといって、腐ったところを放置するのは正しい治療ではない。警察の不正が検察の品格を高めることもない。バーニング・サン事態が捜査権調整にまで影響を与える可能性があるという見通しが出ていて心配になる。
問題が属している次元は違うが、同じような脈絡で「地球温暖化」を思い出させる。やはり一時耳にたこができるほど聞いた言葉だ。その深刻性を子どもだった私と同じ年頃の子たちも皆分かるほどよく強調していたが、最近では粒子状物質の深刻性のためなのか韓国政府で後まわしにされた感じだ。政府と国会は先日、粒子状物質を理由にLPG車の規制を緩和した。しかし、粒子状物質や短期的環境費用の削減に「微細に」役に立つからと温室効果ガスを多く排出するという点まで無視してもいいということではない。実際、政府が温室効果ガス問題に比較的消極的だという指摘が繰り返しある。粒子状物質を最も前に置くことはあるかもしれないが、それを言い訳に他のすべての環境問題を伏せておいてもいいということにはならない。