【噴水台】梅毒の別名、懸念される韓日関係
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.03.27 11:04
梅毒に最初の別名が付いたのは15世紀末にフランスがイタリアのナポリに遠征した直後だった。次々と山を越えてナポリまで進撃したが、軍隊に梅毒が広がって撤収した。しばらくするとイタリアでは梅毒を「フランス病」と呼び始めた。侵攻に対する報復だった。その後も梅毒には多くの別名だできた。国同士が敵となるたびに名前が一つずつ増えた。フランスは「イタリア病」、ロシアは「ポーランド病」と呼んだ。スペイン・ハプスブルク家を相手に独立戦争をしたオランダでは「スペイン病」と呼んだ。
現在の韓日関係も梅毒に相手国の名前を入れた過去の欧州に劣らない。互いに重要な経済パートナーであるにもかかわらずだ。昨年の日本との貿易は計850億ドルにのぼる。中国、米国に次いで3番目に多い。両国が共同で進めた海外資源開発は100件を超える。日本の装備なしに「半導体王国」の地位を維持しがたいのが現実だ。日帝強占期の蛮行について今までまともに謝罪しないのは憎いが、とにかく日本は手を組まなければいけない経済パートナーだ。