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【コラム】旧三菱社宅、保存か清算か=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.03.08 09:53
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高い建物が林立する仁川市富平区富栄路(インチョンシ・プピョング・プヨンノ)の住宅街のど真ん中に「廃屋村」がある。単層の小さな家80軒余りがずらりと列をなして寄り添うように立っているここの家は、古いというよりは今にも崩れそうだ。屋根が落ちて空が見えていたり壁の一部が崩れているところもある。日帝強占期だった1938年、機械製作会社「弘中商工」が朝鮮人労働者受け入れのために作った長屋街だ。1940年代軍需物資の補給倉を運営していた三菱重工業が買収して、その後「三菱チュル社宅」と呼ばれる。チュルは韓国語で長細いものを指すが、この旧三菱社宅は細長く列をつくるようにして建てられていることからこう呼ばれている。

内部にトイレもない、築80年を超える古い建物なのに、まだ10世帯余りが暮らしている。ここは毎年三一節(独立運動記念日)や光復節(解放記念日)など日帝強占期に関連した日が近づくと「論争」になる。「都心の醜い代物である古い家を壊して開発しよう」という住民と「強制労役の辛い歴史も後世に伝えなければならない」という地域文化系の主張が激しく拮抗する。1914年、白凡(ペクボム)金九(キム・グ)先生(1876~1949)が仁川で監獄の苦しみを経験しながら、他の朝鮮人たちと一緒に労役していた仁川港内港第1埠頭の再開発話が持ち上がるや「保存」が言及された。

 
これは仁川市に限ったことではない。全国各地で古い近代建築物の保存問題をめぐって論争が起きる。日帝強占期に地域の役所として使われた京畿道安養市(キョンギド・アンヤンシ)の西二面(ソイミョン)事務所や、種苗・種子会社の建物だった水原市(スウォンシ)の富国園(プゴクウォン)のように地方自治体が建物を買い取って保存する場合もあるだろう。だが、相当数が「日本残滓清算」や「開発」論理などで取り壊された。

独立記念館の「国内独立運動・国家守護史跡」データに登録された「独立運動」関連の京畿道と仁川の史跡はそれぞれ196カ所と25カ所。このうち原形そのままで保存されている場所はそれほど多くない。

消えた現場は歴史性もかすむようになる。妓生の金香花(キム・ヒャンファ、1897~?)が暮らし、仲間と「大韓独立万歳」を叫んだ水原市八達区正祖路(チョンジョロ)一帯が映画『極限職業』のヒットで「水原トンダク(鶏の丸焼き)通り」だけが有名になったように。

時間の流れによる開発は仕方のないことだ。「歴史」という理由で他人の財産権を干渉して古い建築物をただ放置させることもできない。三・一運動100周年の今年、各地方自治体は「地域抗日運動」を伝えるさまざまな記念事業を行っている。称えるべき人物も、場所も多い。それでも関連するすべての場所を復元して保存することもできない。ただし、特別な日にだけ歴史を叫ぶのではなく、消える歴史の現場に小さな案内板でも設置して普段から称える努力は必要な気がする。

チェ・モラン/社会チーム記者

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