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原爆の廃虚で育った日本の少年…磯崎新氏、「建築界のノーベル賞」受賞(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.03.07 09:09
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日本の建築家・安藤忠雄氏(77)は彼を指して「日本建築の皇帝(Emperor of JapaneseArchitecture)」と呼び、批評家は「預言者」と呼ぶ。今年プリツカー賞を受賞した日本の巨匠建築家、磯崎新氏(87)のことだ。

プリツカー賞を主管する米国ハイアット財団は5日(現地時間)、「日本の建築家であり理論家、都市計画家の磯崎新氏を今年の受賞者に決定した」と発表した。これで磯崎氏は日本の建築家として8人目の受賞者になり、日本と米国はプリツカー賞受賞者を最も多く輩出した国として肩を並べることになった。

 
プリツカー賞審査委員団は「磯崎氏は建築会社と理論に対する知識を備えて進取的な姿勢でアバンギャルドを包容している」とし「彼は単に現象を維持することにとどまらず、意味ある建築を探索して絶えず発展してきた。彼のアプローチ法は常に斬新だった」とその理由を明らかにした。審査委員団はまた「彼の建築は哲学、歴史、理論、文化への深い造詣に基づいている。彼は東洋と西洋を一つに結びつけて新たな道を切り開いた」と付け加えた。

◆「廃虚、私の建築の初めての経験」

磯崎氏は1931年、九州の大分で生まれた。広島と長崎が爆撃されたときは14歳だった。磯崎氏は「世の中をさあ理解しようという年齢に故郷が燃えてしまった。海岸の向こう側に原爆が投下された広島があり、私は廃虚で育った。周辺には建築も、建物も、都市もなかった。建築に対する私の初めての経験が建築の空白だった」と話した。その時から人々が家と都市をどのように再建するのか考え始めたという。

1954年、東京大学建築学科を卒業して1987年プリツカー賞受賞者の丹下健三氏の指導の下で研修生活を終えた彼は1963年に自分の設計事務所を構えた。大分医師会館(1960)、大分県立大分図書館(1966)などを手がけ、その後は群馬、福岡、東京などへと作業領域を広げていった。


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