【コラム】ボルトン補佐官の復讐(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.03.05 09:38
北朝鮮が最初に核実験ボタンを押してから4カ月後の2007年2月13日。寧辺(ヨンビョン)核施設の閉鎖・無能力化、核査察受け入れの代わりに重油の支援を受けるという米朝間の「2・13合意」があった。「米朝関係正常化と北朝鮮のテロ支援国指定解除」のための2国間対話も始まった。
北朝鮮の金桂冠(キム・ケグァン)外務次官一行が直後に関係正常化交渉のためにニューヨークを訪れた。警護員15人と4台のリムジンなど国賓級の接待を受けた一行が交渉場所に選んだところは、対北朝鮮制裁を主導したボルトン国連大使の官舎だったウォルドルフホテルだった。米国のチャールズ・プリチャード元北朝鮮特使は「長く北朝鮮を軽べつしてきた米国内の対北朝鮮強硬路線に対して北朝鮮側が唾を吐くような場面だった」(『失敗した外交』)とこの状況を描写した。
当時、イラク戦争をめぐる世論悪化と北核管理の失敗で中間選挙で民主党が上・下院を掌握すると、共和党のブッシュ政権は背を押されて北朝鮮との「非核化」ディールに乗り出した状況だった。ラムズフェルド国防長官など強硬派が退陣し、ボルトン氏も民主党主導の上院で自身の再任承認の可能性が消え、大使職を放棄した時点だった。