【コラム】ハノイ、平壌、ソウル
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.03.04 13:21
金正恩(キム・ジョンウン)を乗せた汽車が2月24日午後、北京南部の石家荘を通過した。1940年代、石家壮は朝鮮義勇軍司令部が躍動していた太行山脈へ向かう乗換駅だ。延安派と呼ばれる義勇軍に合流しようと熱血青年たちがここで秘密連絡兵と接触した。「1号汽車」は、翌日、武漢と長沙を経て南下した。日本帝国と敵対した臨時政府と光復軍が血を流して退却した悔恨の都市だ。金正恩は交錯した歴史の運命を知ってはいるのだろうか。満州でパルチザン闘争をしていたがソ連軍第88旅団の支隊長として入国した祖父・金日成(キム・イルソン)はウラジオストクで船に乗って元山(ウォンサン)に入港した。中国大陸で起きていた独立抗争ドラマとはこれといって縁がなかった。
汽車は20世紀革命のイメージを乗せて走った。超音速旅客機と宇宙航空の時代にその古い革命政治を世の中に伝播しようとするようにだ。世界の人々はまるでモノクロ映画を見るように荒波の歳月を回顧しただろう。中国大陸を横切って機関車が到着した場所はベトナム国境の中越戦争で汚されたドンダン駅だった。朝鮮とベトナムが機関車でつながった有史以来、初めての事件だった。240年前、清の第6代皇帝・乾隆帝の命を受けた騎兵万が初めて踏んだ地、それよりもはるか昔、フビライ・ハーンのモンゴル軍隊が越南(ベトナム)征服を敢行した当時、渡った国境だった。中国に踏みにじられた数百回の戦闘で唯一の2回の勝利がそれだ。清の騎兵を追い払ったグエン・フエ(阮文恵)、モンゴル騎兵を退却させたチャン・フン・ダオ(陳興道)将軍。繁栄していたすべてのベトナム王朝を騎馬兵で何度も踏みにじった中国は、越南人の民族の敵だが、中国の同盟国に快く国境を開いた。