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誰が持って行ったか?…25年前に消えた全国1号の安重根義士記念碑

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.02.26 14:29
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2年ごとにビエンナーレが開催される光州(クァンジュ)市立美術館の隣には1995年に制作された安重根(アン・ジュングン)義士の銅像がある。石塔様式の基壇の上のこの銅像は拳銃を向ける悲壮な表情の安義士を形象化したものだ。

この銅像を設置する当時、残念な出来事があった。基壇の上にあった安義士の記念碑が消えたのだ。記念碑は解放後に全国で初めて設置された安義士の追悼碑だった。この碑石は1961年に光州公園に設置され、1987年に現在の中外公園に移された。その後、安義士の象徴物として愛された。

しかし碑石は1995年に突然消えた。銅像を設置する当時、記念碑の基壇を再活用する過程で碑石自体が消えたのだ。

記念碑が消えた過程はこうだ。国家報勲処などによると、光州・全南市・道民と地域の儒林は1961年12月3日、光州公園内の聖居寺址五層石塔の後ろに安義士記念碑を設置した。日帝強占期当時に日本の神社と旧日本軍忠魂碑があった光州公園の場所に碑石を設置することで日帝の残滓を清算しようという意味だった。今はこれら神社などの跡は残っていない。解放の直後、光州学生独立運動の後えいの光州一高の卒業生と在学生が日本軍忠魂碑を叩き潰したと伝えられている。

全国1号の安義士記念碑は3つの段階を踏んで設置された。碑石の碑文は1960年に創立された安重根義士記念事業会の初代会長、心山・金昌淑(キム・チャンスク)先生の字だ。「大韓義士安公重根記念碑」という碑銘は書道家、素田・孫在馨(ソン・ジェヒョン)先生作品だ。

全国の儒林と光州・全南市・道民の誇りだった記念碑は80年代に入って解体される運命を迎えた。旧都心だった光州公園一帯に多くの建物が建設され、移転が避けられなくなったのだ。このため記念碑は1987年4月4日、光州オリニ大公園が造成された中外公園に移された。

移転された記念碑は8年後にまた試練を迎えた。光復(解放)50周年の1995年に発足した銅像建立推進委員会が安義士の銅像を設置する過程で記念碑が消えたのだ。今まで記念碑は中外公園一帯はもちろん、近隣の光州市立美術館や民俗博物館収蔵庫のどこにもない。

過去の記念碑の基壇部をそのまま利用した銅像は彫刻家のキム・デギル全南大教授が制作した。銅像の字は書道家、長田・河南鎬(ハ・ナムホ)先生が刻んだ。キム教授は「碑石の基壇をそのまま使用するため銅像の設置に苦労した」とし「銅像の設置当時、推進委員が碑を降ろした後、銅像の後方の丘に立てていたと記憶している」と伝えた。

記念碑を記憶する市民と専門家は「安重根義挙110周年を迎えて記念碑を探すべきだ」と強調する。1909年10月のハルビン駅での伊藤博文暗殺義挙を記念した国内最初の碑石であるため、歴史的な価値も高いということだ。

光州国際高のノ・ソンテ首席教師(59)は「安義士義挙110周年を控え、数年間かけて記念碑の行方を追跡したが、成果はない」とし「当時の銅像の設置に参加した人や目撃者の情報提供が求められる状況」と話した。

国内にはほかにも安義士の象徴物がある。1955年に長興(チャンフン)に設置された全国最初の安義士の祠堂、海東祠だ。ここでは1955年10月27日に安重根義士位牌奉安式が行われた。海東祠は今も残っている国内唯一の安義士の祠堂。1973年3月に光州尚武台に設置された安義士の銅像もある。この銅像は110年前の義挙を記念するために設置された。

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    2019.02.26 14:29
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    1995年の銅像設置過程で消えた安重根義士の記念碑(左)と従来の記念碑の基壇を利用して設置された安義士の銅像。(写真=国家報勲処)
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