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【グローバルアイ】歓呼の中の警鐘=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.02.22 16:05
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ベトナムでの米朝首脳会談が来週に迫った。ベトナムはドイモイ政策で経済成長しているところだ。易、対、始、買。ドイモイのベトナム式漢字表記の字喃を分けると「互いの物の売買を初めて容易にした」となる。ベトナムで自由な取引を革新と感じたということだ。

「経済ロケット」と表現したトランプ大統領はベトナムの刷新を評価する。戦後に関係を正常化した先例も作用した。北朝鮮もベトナムの道を進むべきというメッセージだ。

 
ベトナムをめぐる南・北・米・中の歴史は複雑だ。まずは中国。17日は中国-ベトナム戦争勃発40周年だった。追悼行事はなかった。ベトナム社会科学院が16日、「過去と決別して未来へ進もう」というテーマで開催したフォーラムがすべてだった。グエン・フー・チョン共産党書記長は「中越戦争を利用して騒乱を扇動した反体制人物を厳重に調査すべき」と命じた。追悼行事の禁止は中国も同じだ。習近平主席が第19回党大会直後にベトナムを訪問して過去を縫合したからだ。

では、ダナンではなくハノイにこだわったという北朝鮮がベトナムを選んだ理由は何か。両国の歴史の中にヒントが隠れている。1957年にホー・チ・ミン主席が平壌(ピョンヤン)を、58年に金日成(キム・イルソン)主席がハノイを答礼訪問した。2人は59年の新中国成立10周年、北京天安門軍事パレードでも会った。金日成は周恩来の隣に、ホー・チ・ミンは毛沢東の隣にいた。1964年8月、米国駆逐艦が攻撃を受けたトンキン湾事件が発生した。米軍は北ベトナムを爆撃し、地上軍を投入した。金日成が11月、ハノイを再び訪れた。韓日協定は翌年締結された。韓日米の三角同盟の必要性が大きかった。

北朝鮮も大規模な派兵を提案した。ベトナムは断った。その代わり北朝鮮のミグ機部隊がハノイ領空の防御に投入された。パイロット87人が平壌上空のように守れという金日成の指令を遂行した。金日成の提案で心理戦と洞窟戦の専門家約100人も派遣した。

北朝鮮のベトナム援助はこれだけではなかった。韓国のベトナム派兵の空白を狙って対南戦略を暴力闘争に転換した。68年1月21日、青瓦台(チョンワデ、大統領府)奇襲のための北朝鮮ゲリラが浸透した。2日後、東海(トンヘ、日本名・日本海)上で偵察中だった米軍情報収集艦「プエブロ」を拿捕した。ソウル大のユ・ヨンテ教授は「朝・中・ベトナムの緊密な連携の中で進められた東アジアレベルの陽動作戦である可能性」に言及した(『歓呼の中の警鐘』2006)。

半世紀が流れた。「ハノイ10万人(実際は7万人)の同胞が(金正恩委員長)歓迎パレードの準備をしています」。北京の同胞がハノイからの便りとして伝えたWeChatのメッセージだ。歓呼の中で警鐘は弱まる。

シン・ギョンジン/北京特派員

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