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【コラム】垂直立式文化を追求する韓国と水平座式文化を保存する日本

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.01.31 08:24
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文化評論家から木工になったキム・ジンソン氏の作品のうち「ソファがあっても床に座ろうとする人のための背もたれ」という長い題目の木工品がある。今はもう処分したが、私はソファを背もたれのように使うことが多かった。ソファに座らず、もたれるのが好きだった。もちろんそれは座式習慣が身についていたからだ。それで疑問を抱いた。なぜ韓国のデザイナーは座式文化に適したソファをデザインしないのだろうか。もちろんソファは立式文化の産物であるため、このような発想自体があまりないのかもしれない。しかし私はこうした疑問の中に創造的なきっかけをつかめると考えている。

私も新婚当時、ほかの人たちと同じように家にベッドとソファを置いた。狭い賃貸住宅にベッドを置けば足を踏む空間もなくなってしまう。そうなってからようやくほかの人たちを真似たことを後悔した。引っ越しをしてベッドやソファを順に処分し、結婚前のように部屋の床に布団を敷いて寝る座式に戻った。もちろんそれでも食卓や机は立式を使うため、私の生活空間は座式と立式が共存または衝突するところになっている。今日の韓国人の空間文化は概してこのようなものではないかと思う。それでこうした想像力も生じることになったのではないだろうか。

 
「椅子のように見える、胸がすごく大きな旧石器時代の/この多産性女性像は実際はビニールでできた偽の革をかぶっているが/「おおソファ、私の母!」私は内心このように英語式に話しながら/そして西洋人がするように得意がってソファに座ったのだった」(ファン・ジウ、『太ったソファに関する日記』から)

近代化の過程で伝統的な座式文化は急速に立式文化に変わった。しかしまだ私たちの体は西欧式の立式文化に完全に適応したわけではない。生活のあちこちで座式エトスと立式ロゴスがぶつかる姿を見る。立式の台所が初めて導入された当時は主婦がそこに上がってニンニクをむいたとか、座式便器の上にしゃがんで用を足したとかいうのは、もう私たちにも昔の話になった。しかし本当のホモ・エレクトス(立式人間?)になるためには越えるべきハードルがまだ残っている。

ところで私たちより先に西欧化した日本人は依然として座式文化を好むようだ。多くの日本の家庭にはソファがなく、低い座卓が居間のまん中に置かれている。電灯スイッチも座ったまま操作しやすいように低い位置にあることが多い。日本のホテルに宿泊した時、浴槽が韓国のように、すなわち西洋式に横になる構造でなく、伝統浴槽のように体が浸かるようにくぼんでいるのを見て、本当にここでは西洋文化を自分たちに合わせて変えるのだと感心したことがある。豚カツやコロッケ、カレーライスのように。

もちろん日本人の座式文化(正座姿勢)は身長を制限する結果をもたらすかもしれない。座式と立式生活は身体の発育で差を生む。どうしても足を曲げる座式生活はスタイルへの期待を抱けなくする。韓国労働運動の先駆者、全泰一(チョン・テイル)は腰を伸ばして立つこともできない低い屋根裏部屋で一日に十数時間も座って働く幼い女工たちを見て憤怒した。その時代に私たちが「女子工員」と呼んだ、経済成長時代に足を伸ばせず暮らさなければならなかった彼女たちはみんな少し短くて丸みのある脚線美を誇(?)った。そういえば加里峰洞(カリボンドン)の交差点を行き来する「女子工員」の脚を見て労働解放を夢見た時代が自分にもなくはなかった。

にもかかわらず、この数十年間に表れた韓国人の体位向上が革命的な変化であるのは間違いない。それは食生活の改善と立式文化の結果だろう。こうした点で依然として伝統的な生活方式にこだわる日本人を見ると感心する。確かに韓国人は外来文化に自身を合わせる傾向があり、日本人は外来文化を自身に合わせる傾向がある。もちろん長期的な観点で見ると、どちらが望ましいかは分からない。文化の受け入れ方法は多様であり、韓国もそれなりに主体的な外来文化の受け入れと接合の伝統を持っている。磁器や韓屋などを見ればそうだ。

まだ多くの部分で不調和を演出してはいるが、韓国は伝統の座式文化から西欧の立式文化に進んでいるという点は明白だ。では韓国とは違って日本はずっと座式文化を維持することになるのだろうか。繰り返すが、日本人は外来のものを自分たちの方式で受け入れるのに卓越した才能を持つ。文化心理学者のキム・ジョンウン氏は『日本熱狂』で「日本人はすべてのものを受け入れる。だから何も受け入れない」という意味深長な言葉を残した。近代化の経験の中でも垂直の立式文化を追求する韓国社会と、水平の座式文化を保存する日本社会の差が何を内包するのか吟味してみる必要がある。座れば高くて立てば低いのは天井だけでない。近代化とは、こうした視線と生活感覚の変化に対する態度を含むからだ。

長く座式文化を共有してきた両国の未来が気になった途端、日本映画『ジョゼと虎と魚たち』の最後の場面が公案のように襲う。障害者の女主人公が恋人をなくした後、一人で椅子に座っていたが突然、飛び降りる。その瞬間、画面は消えて音だけが残る。「ドスン!」。

チェ・ボム/デザイン評論家

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