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【コラム】フライドチキン出前や肉を焼くことは立派なサービスだ=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.12.26 15:48
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先日、サムギョプサル専門店で夕食を食べた。もともと行こうと思っていた店は人が多かったので周辺にある別の店に入った。食堂の内部は管理がよく行き届いていたが、メニューを見ると他店よりも高い感じがした。台所の片隅では一人の職員が肉を焼いたあと、食べやすい大きさに切ってくれた。別の職員がこれをテーブルに持ってきてくれた。客が多くなかったためだろうか。その職員は煙が店内に広がらないように煙の吸入筒の位置を調節しながらテーブルで誠実に、そして最後まで自分の仕事をこなした。値段が高いのは理由があるからだと思いながら店をあとにした。何度もは無理だがいつかまた行きたい。

先週末は家でフライドチキンの出前を頼んだ。フライドチキンのチェーン店「キョチョンチキン」だったが、配達料金として2000ウォンを請求された。今年5月、この企業が配達料金を追加で請求すると発表した時、少なくない消費者が不満を表示した。実質的な価格引き上げだという批判も出てきた。消費者にとって配達料金は間違いなく負担になる。だが、寒さの中で店に出向かなくても深夜にフライドチキンを注文して届けてもらい、家で食べることができるということは非常にありがたいことだ。出前アプリの登場で収益性が悪化した状況で、フライドチキン店が配達手数料を請求するということを否定的な方向からばかり考えるべきではない。

 
フライドチキンに添えられていた「出前料理クーポンブック」を見てみると、依然として配達料金を請求しない店があるかと思えば、訪問すれば1000ウォンを割り引くという店もあった。ある海苔巻き店は距離により1000~3000ウォンの配達料を請求するとの案内を載せていた。配達料金まで含めたフライドチキンの値段に満足できないなら、別の店に注文することができる。少なくともクーポンブックの中では消費者の選択権が保障されているということだ。

韓国社会ではまだ「サービス=無料」という認識が広まったままだ。今でも食堂では注文をたくさんすれば「サービス」としておかずなどをたくさん出してくれる場合が多い。情深い姿なのかもしれないが、サービスの価値を無視する認識だ。

肉を食べやすく切って美味しく焼いてくれるロボットが商用化されない限り、肉を美味しく焼いてくれることは立派なサービスだ。このサービスだけで堂々と料金を受け取るべきだ。サウナに行っても自分で洗わず、アカすりサービスを受けたいと思うなら、別に料金を払わなくてはならないではないか。サービスの価値が高まるとこのようなことに特化した職業が生まれることもある。文在寅(ムン・ジェイン)政府が前面に出した所得主導成長は、実際にはサービスの価値をしっかりと認めるところで始めなければならなかった。最低賃金だけを急激に引き上げるのは自営業者の所得を低くし、ここに雇用された職員まで減らすという悪循環を招く。

自営業者とここで働く職員の所得が同時に増加する秘法があるだろうか。政府が税金で直接支援することもできるだろうが持続可能ではない。結局、利用客が料金を多く払うしかない。問題は利用客がこれを認めて受け入れなければならない点だ。このためには何か差別化された製品とサービスを開発しようとする自営業者の努力と、このような価値を認める消費者の意識変化が共に向上しなければならない。

自分の労働価値が重要であるほど他人の労働価値を認めるのが必要だということだ。米国など先進国をみると、工業製品は安いが、人、なかでも専門職が行うサービスは非常に高い。

力いっぱい駆け抜けてきた2018年もうあと残り数日となった。異変がないなら、2018年は1人当たりの国民所得(GNI)が3万ドルを越える初年度になるだろう。だが、今年は生存権を保障するよう要求する大規模な街頭デモが多かった。8月には全国の小商工人がソウル都心で大規模デモを実施したほか、20日にはカカオのカープールアプリサービスに反対するタクシー運転手10万人余り(主宰側推算)が汝矣島(ヨイド)に集結した。3万ドル時代の暗い影だ。

問題は来年の経済展望が明るいばかりではないという点だ。景気が好転しなければ来年も「生存権を保障しろ」と叫ぶデモは激化するだろう。何か突破口が必要だ。サービスの価値を高めてこれを快く受け入れる消費者の財布から開かせるようにしなければならない。

キム・ウォンベ/社会チーム長

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