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【コラム】外交部の苦しい内憂外患=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.11.08 13:44
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「外交政策は本質的に歴史観の問題だ。外交技術や方法の問題でない」〔金瓊元(キム・ギョンウォン)元駐米大使追慕集『自由主義者の苦悩と希望』)。金瓊元は生前、「韓国のキッシンジャー」というニックネームがあった。文在寅政府の歴史観は過去との決別だ。その中で、朴槿恵(パク・クネ)政府の尹炳世(ユン・ビョンセ)外交長官の足跡は積弊だ。李相徳(イ・サンドク)駐シンガポール大使(慰安婦問題担当北東アジア局長)の召喚はそのためだ。青瓦台の参謀は敵を探し出すことに慣れている。敵と同志を区分することにこだわる。その参謀の主力は全大協の586世代だ。

康長官は非外交官出身・女性だ。青瓦台が康長官を前面に出す時、それは純血主義の打破を意味する。だが、そのイメージで外交部を管理することはできない。人事はどの場合にも万事だ。人事に無気力な長官は有能になれない。そのような長官に戦略と忠誠心は集まらない。

 
全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の序盤期の盧信永(ノ・シニョン)時代のことが脳裏に浮かぶ。彼は荒れ狂う時期の外交長官だった。第5共和国政府は公職人事台風を呼んだ。いわゆる粛正の退出だ。そうして公務員社会を再編しようとした。外交部に割り当てられた粛正人員は69人。外交官の大量追放だ。

盧信永は頭を使ってうまく乗り切った。彼は青瓦台参謀から説得した。「職業外交官1人を育てるのに莫大な投資をしている。彼らの解任は決定的な国家損失だ」。その時の外交官の力と献身は明らかだった。だが、外交部だけを例外にすることは難しかった。その書類に大統領の署名があった。

彼はタイミングを注意深く模索した。1981年2月初め、全斗煥の米国首脳訪問が終わった後だ。彼は勇気を出した。粛正指示の再考を要請した。全斗煥は大いに悩むことになった。多くの部署は粛正措置を終わらせた状態だった。盧信永は「他部署との公平性問題で外交官の粛正を断行すれば、間違いだと知りながらも強行する結果になる」と話した。全斗煥はその建議を受け入れた。外交部は激しい粛正の嵐を避けることができた。退出対象69人中66人が生き残った。彼はこのように記憶している。「その時に救済された外交官は、後日、外交部の中心人物になった」(『盧信永回顧録』)

その頃、軍出身の天下りがあふれていた。盧信永は厳正な配置規定を出した。「難しい公館から先に模範を示すべきだ」。全斗煥はその原則を認めた。その時、林東源(イム・ドンウォン)元国家情報院長(所長)も予備役に編入した。彼に赴任原則が適用された。林東源の最初の赴任地はアフリカの駐ナイジェリア大使だった。盧信永の奮闘は伝説だ。今、外交部の風景でそのような知恵と勇気は別の国の話のようだ。現在、4強国の駐在大使は全員天下り出身だ。

無気力は再生産される。今年8月、外交部は検察の家宅捜索を受けた。大法院と外交部の裁判取引疑惑のためだ。押収物の中に外交極秘文書も含まれていたという。刑事訴訟法(111条第1項)は、公務上、機密文書を例外として扱っている。機関長の承諾なしには押収することはできない。その時、康長官は外遊中だった。康長官はその条項に依存しなかった。異議申立はなかった。

その場面は剛気不足との評判を生んだ。それは軽蔑のイメージを拡散する。「なめられることは指導力の致命的な要素だ」(マキャベリ『君主論』)。軽蔑に対して勇気で対応しなければ、さらに下に見られてしまう。外交部は外部機関の無理な圧迫にも沈黙している。それが康京和の外交部の風景だ。反面、「康京和リスク」は彼女が処している苦境を象徴する。

外交の主要ポストはエリートコースから離脱した。東京の駐日大使館、パリの経済協力開発機構(OECD)代表部の実務職責も人気を失った。そのような風潮は外交の専門性を弱化させる。文大統領の10月の欧州歴訪は困惑と狼狽で締めくくられた。彼が出した首脳会談メッセージは「対北朝鮮制裁緩和と非核化の促進」だった。フランスのマクロン大統領は「CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)」を守った。

欧州国家は北朝鮮核問題に頑強だ。文大統領の説得は無謀な試みだった。現地の大使はそのような拒絶場面を予測しただろう。それでも文大統領は強行した。その理由は何だろうか。「韓半島運転者論」に対する過度な確信のためか。外交現場と青瓦台の疎通失敗のためか。だが、青瓦台はこれを外交失敗と認めていない。「期待よりうまくいった」という主張だ。このような姿勢は国際政治の常識からは外れる。高麗(コリョ)大学のカン・ソンハク名誉教授は「4強に囲まれた韓国は対外政策で基本的に謙虚でなければならない」と述べた。

外交部の沈滞克服の資産は専門性と経験だ。そのため青瓦台参謀を圧倒しなければならない。歴代外交長官は彼らだけの手立てを持っていた。彼らは経験と度胸、知恵と言語で大統領の信任を得た。金大中(キム・デジュン)政府の洪淳瑛(ホン・スンヨン)、盧武鉉政府の潘基文(パン・ギムン)、李明博(イ・ミョンバク)政府の柳明桓(ユ・ミョンファン)長官だ。彼らの共通点は外交アジェンダを生産する能力だ。朴銖吉(パク・スギル)元国連大使は「長官は自分のアジェンダを持って洗練させていかなくてはならない」と述べた。それが康京和外交部の再出発の起点だ。

パク・ボギュン/中央日報コラムニスト


【コラム】外交部の苦しい内憂外患=韓国(1)

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