【中央時評】失われた1年、残り4年も失うのか=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.05.23 10:59
アダム・スミスが1776年に『国富論』を出す前、経済は神が支配する領域だった。宗教と道徳は人間の貪欲を抑制するように教えた。利子と利潤は神の摂理に背く邪悪な行為と非難された。スミスはこうした人間の貪欲を宗教の枠から解放させた。人間の本能によって利己的に行動しても「見えざる手」によって調和をなすということだ。市場の需要と供給により自然に価格が決定され、その道をたどって国家の富が効果的に増加すると主張した。近代経済学は市場に対する信頼と自由競争を2本柱としている。
最近、青瓦台(チョンワデ、大統領府)から出てくる経済用語が気になる。経済学の教科書の市場、効率、自由競争、国際競争力などの言葉はすべて消えてしまった。その穴を公正、公平、民主化、情のような倫理学の用語が埋めている。価格を見てもそうだ。価格は市場で需要と供給によって決まる。しかし青瓦台はこっそりと「価格=原価+適正利潤」に変えた。このフレームを通信料金、チキン価格、住宅分譲価格に強制し、誠実な価格、合理的な価格という形容詞まで付けた。経済学をまたアダム・スミス以前の時代に戻したのだ。では、尋ねたい。営業利益率が26%のアップルは消費者から搾取する悪い企業だろうか。半導体の営業利益率が55.6%にのぼるサムスン電子は価格を下げるべきなのか。