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<金正恩を語る>後継権力を掌握したロイヤルファミリーの三男(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.04.25 13:43
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金正恩(キム・ジョンウン)の出生ストーリーは秘密に包まれている。金正日(キム・ジョンイル)総書記と生母・高容姫(コ・ヨンヒ)の間に1984年に生まれたという程度だけが確認された。高容姫は北送在日同胞出身の舞踊家だ。済州(チェジュ)出身の高容姫は父・高京沢(コ・ギョンテク)につれられて植民地時代に大阪に渡り、1960年代に北送船に乗った。

元女優の成ヘ琳(ソン・ヘリム)と同居していた金正日がどのように高容姫と結ばれたかもベールに包まれている。北送船が到着したところが江原道元山(ウォンサン)であるため、高容姫が平壌(ピョンヤン)権力内で一時は「元山婦人」と呼ばれたという話もある。金正恩が元山近隣に馬息嶺(マシクリョン)スキー場を建設するなど観光地区開発に注力し、兄の金正哲(キム・ジョンチョル)、妹の金与正(キム・ヨジョン、労働党第1副部長)と共に元山の専用別荘によく行くのは元山との特別な縁のためという見方がある。

 
北朝鮮は金正恩の出生や生い立ちに公式的に言及していない。執権7年目に入ったが、まともな写真や記録映像はない。

安燦一(アン・チャンイル)世界北朝鮮研究センター所長は「10代だった1990年代後半にスイスで留学生活をしたという点で、偶像化のための空白期が生じた」と話した。この時期、北朝鮮では大規模な餓死事態が発生したため最高指導者の西側留学を前面に出すのは難しいということだ。

生母の高容姫を「敬愛なる母」として浮き彫りにする動きが2002年ごろ感知されたが、すぐに中断された。高容姫の父が日本軍需工場で幹部として働いた経歴などが朝鮮総連などの口を通じて北朝鮮の内部に知れ渡ればアキレス腱になるという懸念のためという分析だ。

こうした状況は白頭山(ペクドゥサン)出生説を作り、いわゆる「白頭血統」神話を築いた金正日の時とは違う。1941年に旧ソ連の兵営でソ連軍将校の金日成(キム・イルソン)の息子として生まれた金正日を北朝鮮は「1942年白頭山誕生」と宣伝した。幼少期の写真と金日成大学時代の軍事訓練の映像、1964年に労働党組織指導部の指導員として金日成に同行する姿などが北朝鮮国営テレビを通じて今でも繰り返し登場する。

金正恩の成長過程に関心が傾き始めたのは1998年の夏だ。当時、金正日総書記は脳卒中のため数カ月間にわたり公開活動を中断した。ポスト金正日体制に耳目が集中し、3代世襲を強行する可能性があるという予想の中、金正哲・与正と共に送ったスイス留学生活にスポットライトが合わされた。留学生活の中で金正恩は頭角を現わしたり優秀な資質を見せていないというのが教師・生徒の伝言だ。

級友だったミカエロは「金正恩はコンピューターゲーム、有名ブランドの運動靴、アクション映画に関心があり、特に競争で負けるのを非常に嫌った」と、日本メディアのインタビューで語った。

キャンベル元米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は2013年12月の叔父・張成沢(チャン・ソンテク)処刑直後、CNNのインタビューで「金正恩の性格を把握しようと米当局がスイス留学当時の金正恩の友人に広い範囲で接触し、金正恩は『非常に危険で暴力的で誇大妄想の症状がある人物』という結論を出した」と述べている。

金正日が三男の金正恩を後継者に指名したのは意外だった。父子世襲の強行時、何よりも封建王朝時代の長子継承原則に基づくという見方が多かった。しかし成ヘ琳との間に生まれた長男の金正男(キム・ジョンナム)は早期に除外していた。

金正男はあるメディアへのメールで「西側留学を通じて資本主義に染まった私を見て父は快く思っていなかった」と明らかにした。二男の金正哲の場合、ホルモン系疾患で女性のような声であるうえ、胸がふくらむなどの問題が発生して外された。結局、金正日は死去する1年ほど前の2010年9月、党代表者会を通じて26歳の三男・金正恩を後継者に選択した。


<金正恩を語る>後継権力を掌握したロイヤルファミリーの三男(2)

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