平昌以後、文大統領が「核メダル」を取る番だ(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.03.02 15:51
アドルフ・ヒトラーが他の貴賓より一つ高い特別席(box seat)から立ち上がって開会を宣言した。平和を象徴する2万5000羽のハトが飛び立ち、オリンピック(五輪)スタジアムの上空を旋回した。祝砲が放たれた。驚いたハトは一斉に分泌物を出した。ハトの分泌物は紳士の帽子と淑女の頭の上に落ちた。1936年8月1日、第11回ベルリン夏季五輪は「平和」の名を付けてこのように開幕した。初の聖火リレー、初のテレビ中継という記録を作った記念すべき五輪だった。韓国人には孫基禎(ソン・キジョン)のマラソン制覇、南昇竜(ナム・スンリョン)の銅メダルで記憶されている五輪だ。
ヒトラーは「五輪がすべての国を平和の精神で一つにまとめる」と叫んだ。3年前にワイマール共和国を崩壊させて権力を握ったナチ党首ヒトラーの、鳩で形象化された平和のオリーブの枝が偽装されたものだったことはその後の歴史が証明している。ヒトラーは平和行事に偽装された五輪を、ドイツ民族の優秀性を誇示する舞台にすることを望んだ。ヒトラーはユダヤ人・ジプシー・黒人選手の五輪参加を禁止して制限した。
五輪の前後にヒトラーは第2次世界大戦を終結するベルサイユ体制を一つずつ崩していった。五輪が開催される5カ月前には、ベルサイユ条約でドイツ軍の進入が禁止された非武装地帯ラインラントを占領した。五輪を開催した2年後には第1次世界大戦に対する欧州国家のトラウマを刺激し、住民の多数がドイツ系であるチェコスロバキアのスデーテン州をドイツ領土に編入した。英首相ネヴィル・チェンバレン、伊首相ベニート・ムッソリーニ、仏首相エドゥアール・ダラディエが署名した悪名高いミュンヘン協定の形式を借りてだ。