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【時論】平昌五輪の「冬物語」が残した宿題(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.02.27 13:25
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片方の足はめちゃくちゃな現実に陥っている一方、もう片方の足は現実の向こう側に伸びている。見苦しい毎日にもがいているが、ここから抜け出したいと思う想像で、ぬかるみに陥っていた片足も何とか動かすことができる。この力を、スポーツは「その瞬間」という即時性の美学というかたちで見せてくれる。再放送はつまらない。1秒後の結果を誰も予測することができないという点、そのために1000分の1秒でも短縮するために持てる力をすべて振り絞ろうとする選手たちを、私たちは即時性に立脚して1カ月近く見守った。

多くの選手たちの切実な動作と切実な表情を通して、私たちは消えたと思った私たちの内面の力を確認した。彼らは規則の中で規則を超越した。規則は網の目のように細かい。手をちょっと伸ばしても失格だ。規則の中で、規則に捕われず、究極的に規則を超越する。そして規則の範囲をさらに拡張し、より多くの人々に少しでも自由な世界を、想像の祭典の中だけでも見せてくれた。

 
かように平昌(ピョンチャン)の「冬物語」が徐々に幕を下ろしつつある。祭りが終れば計算書が待っている。多くの人々が懸念していたにもかかわらず、大会期間中は韓半島(朝鮮半島)の軍事的寒波は和らぎ、やってくる春にも対話と交渉の雰囲気が少しは続くだろうという期待を持たせてくれた。「平和オリンピック」を持続的に追求した結実であり、もっと大きな実がなるように努力していかなくてはならない。平和には左右の別はない。

社会内部に目を向けると、計算書の項目が複雑になる。平昌オリンピック(五輪)の経済的名分だった江原道(カンウォンド)地域の経済活性化がどのように実現されていくのか気になるし、たった数日間の競技のために無惨に傷つけられた可里旺山(カリワンサン)の復元が可能かも心配だ。

各競技場の事後活用案も現実的に模索していかなくてはならない。一部の開発論者はさらに多くのイベントとさらに多くの施設で開発しなければならないとし、ついには雪岳山(ソラクサン)の稜線ギリギリまで道路を伸ばして観光ホテルも作ろうと強弁する。しかし、21世紀は歴史と文化と内面的人生の旅であって、決して慰楽やレジャーとしての観光ではないことを直視しなければならない。

その前に、オリンピック施設は江原道民の文化的な暮らしのために使われなければならない。一次的に地域住民の日常的要求にともなう基本施設として配置され、その中で素朴でも人間らしい暮らしが営まれれば、その風景を見るようと江原道を愛する人々がまたここを訪れるようになる。平昌と江陵を決して業者任せにしてはいけない。


【時論】平昌五輪の「冬物語」が残した宿題(2)

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