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「ご旅行でいらっしゃった明仁天皇、高句麗がいつ・なぜ滅びたかお尋ねに」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.11.14 11:10
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埼玉県日高市高麗川駅
ことし9月20日、日本の明仁天皇夫妻が埼玉県日高市の高麗神社を訪れたという便りは、日本よりも韓国で大きく報じられた。高麗(こま)は高句麗の日本式表現だ。高麗神社は7世紀に日本へ渡って行った高句麗人「若光」を神として祀っている。若光は羅唐連合軍によって高句麗が滅亡する危機に面すると日本に亡命した。各地に散って暮らしていた百済人や高句麗人を移住させて武蔵国に高麗郡という村を作った。行政区域上、名称は日高市に変わったが、高麗川駅、高麗小学校、高麗鍋(キムチチゲと類似)など、その面影を今に伝えている。

「高麗」という姓の子孫も残っている。天皇の案内役を務めた第60代高麗家当主の高麗文康宮司にインタビューするために高麗神社を訪れた。

神社の入り口には2005年韓日国交正常化40周年を記念して中央民団が寄贈した「天下大将軍」「地下女将軍」の2つの石像が人々を迎えている。中に入ると、大韓帝国最後の皇太子である英親王と李方子妃が記念植樹をした木もある。

日本政治家名義の植樹も何本かあった。高麗神社は「出世開運」の神社として知られている。高麗神社に参拝した後、首相になった政治家が9人もいるということで、政・財界はもちろん法曹界の人々も多く訪れるという。

神社の裏手には約400年前に建てられた高麗家住宅がある。高麗神社の宮司が代々守ってきた家で、国指定重要文化財だ。

明仁天皇は自ら百済の子孫であることを明らかにしたり(2001年の誕生日記者会見)、2015年韓日修交50周年記念で東京国立博物館に展示された金銅半跏思惟像を観覧したりするなど、韓国の歴史に深い関心を示してきた。9月の高麗神社訪問では3時間ほど滞在していたという。

高麗宮司は「天皇が日本の古代史の中で韓半島から渡ってきた渡来人について、深くお知りになりたいという気持ちを強く感じることができた」と述べた。

--明仁天皇の訪問はどのように実現したか。

「今回のご旅行は天皇の私的なご旅行であると承知している。宮内庁から高麗神社を訪問したいとの意向の打診があり、長い準備期間を経てお迎えした」
「ご旅行でいらっしゃった明仁天皇、高句麗がいつ・なぜ滅びたかお尋ねに」(2)



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