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安倍首相の日米同盟、100年前に大陸勢力を抑えた日英同盟の複写版(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.10.30 13:45
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◆112年前の日露のポーツマス談判…ウィッテの世論動員vs小村の節制外交

ポーツマス会談は苦々しい。そのために大韓帝国の未来が絶望的だった。ポーツマス講和条約は外交の学習倉庫だ。外交の本質と技量に対する記憶と教訓が込められている。カン・ソンハク高麗大名誉教授の見方は興味深い。「1904年の日露戦争前後の国際関係は北東アジア国際政治の歴史的な原形だ」。

 
ポーツマスは米国のニューハンプシャー州の港だ。ボストンから北に80キロ。そこに巨大な海軍基地がある。その中に1世紀前の会談場が残っている。「ビルディング86」。愛称は平和ビル。3階建てのレンガの建物の前に大きな銅のプレートがある。「ここでセオドア・ルーズベルト米大統領の招請によりロシアと日本の外交使節の間で平和会談が行われた。1905年9月5日午後3時47分に戦争を終えるポーツマス条約が締結された」。そこで「平和」は不快だ。二重性とうっ憤として迫ってくる。小村寿太郎の平和は日本の朝鮮支配だ。

1905年5月、ロシアのバルチック艦隊は対馬海峡で壊滅した。東郷平八郎の歴史的な勝利だ。それは日英同盟の効果だ。バルチック艦隊はリエパーヤ港(現在のラトビア)を出発した。英国の同盟履行は忠実だった。植民地の港へのバルチック艦隊の寄港拒否、石炭供給の拒否だ。7カ月間の航海の艦隊は気力を失った。ルーズベルトの態度が変わった。親日から北東アジアの勢力均衡だ。彼は終戦交渉を仲裁した。同年8月にロシアと日本の代表がテーブルに座った。セルゲイ・ウィッテ元首相と小村寿太郎外相だ。小村は日英同盟の主唱者だ。彼の小さな身長(156センチ)は長身のウィッテと対照をなした。

小村は12件の講和条件を掲げた。韓国に対する日本の保護、ロシア軍の満州撤収などだ。ロシア側は大半を受け入れた。しかし賠償金の支払いは拒否した。ウィッテの秘密兵器は世論の動員だ。彼は言語で反撃した。「ここには勝者はいない」。彼は「日本はお金のために戦争を続ける」と主張した。仲裁国の米国のメディアはロシア側に傾いた。小村はハーバード大学出身。しかし米国式の世論戦に慣れていなかった。ウィッテは当時の最高の交渉家だ。ロシアは賠償金を支払わなかった。

小村はそこで止まった。日本の戦力も底をついた。日本の念願は実現した。条約(2条)はこのように保障した。「ロシア政府は日本政府が朝鮮で採択する必要があると認める指導・保護・監理措置を取ることを妨害・干渉しない」。それは乙巳勒約の招待状だ。その頃、第2次日英同盟(8月12日)桂・タフト(米国陸軍長官)密約(7月29日)があった。その条約文も似ている。

宮崎県日南。小村の故郷だ。彼の記念館がある。展示物の大半はポーツマス条約に関するものだ。「魂の外交官」という案内文がある。魂は外交の節制だ。吉田茂元首相の人物評が目を引く。「小村はどうすれば日本の外交が発展するのかを大局的な見地で考えた」。


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    2017.10.30 13:45
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    ウィッテ(写真右)と小村
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