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「合気道が日本の武芸? 知る人はそう言わない」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.10.24 16:30
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武芸研究家イ・ホチョル博士が弟子と合気道(ハプキド)の演武をしている。
合気道(ハプキド)は韓国で最も大衆的な武術の一つだが、論争が多い。日本武術の合気道(アイキドウ)と漢字が同じであるうえ、合気道(ハプキド)を創始した崔龍述(チェ・ヨンスル)師範(1899-1986)が日本武術である大東流柔術の大家・武田惣角(1859-1943)の弟子だった事実が伝えられ、合気道(ハプキド)が日本のものという認識が広まった。

合気道(ハプキド)関係者が集まって作った団体も大韓合気道協会・大韓気道会・大韓合気道会・韓国合気道連盟などいくつかある。どこが正統性を持つのか分かりにくい。テコンドー・柔道・剣道・空手など他の武術とは違い、大韓体育会会員種目としても登録されていない。合気道(ハプキド)関係者が「嫡統」認定争いをし、一つにまとまらないからだ。崔龍述師範は他界する前にあるインタビューで「合気道(ハプキド)の軸を確立して死ぬことができれば思い残すことはない。道場ごとに技が違い、弟子は数カ月だけ習った後にみんな独立して道場を持つ」と話した。

合気道をはじめとするアジアの武芸を研究する武芸研究家のイ・ホチョル氏(54)は「合気道(ハプキド)に対する冷笑的な非難が残念だ」と話し始めた。イ氏は生涯、合気道(ハプキド)を修練して関連研究活動も併行してきた自他が認める「合気道(ハプキド)博士」だ。実際にイ氏は高麗大で教育学を専攻した後、豪州グリフィス大でスポーツ経営学修士学位を、慶南大でスポーツ教育学博士学位を取得した。イ氏は中学生の時に合気道(ハプキド)に入門し、大学時代から本格的な修練を始めた。剣道など他の武術も経験し、すべて合わせた段数が12段だ。

イ氏は「合気道(ハプキド)は厳格に韓国の文化だが、否定的な観点だけに縛られてその優秀性を看過している」と指摘する。イ氏は先月22日、これまでの研究を基礎に著書『合気道はなぜ韓国武芸か?』(ブックラボ)を出した。「低く評価された合気道(ハプキド)の貢献と潜在性を知らせ、正しい評価を受けるようにしたい」というイ氏に20日に会った。

合気道(ハプキド)をめぐる論争について話すと、イ氏は東南アジアの武術の話を紹介した。「インドネシアとマレーシアには『シラット』という名前が同じ武術がある。両国ともに国技と見なす伝統武芸だ。ところが両国ともに起源に関する問題を提起しない。実際、両国のシラットは少し違う」。同じ漢字名を持つ合気道(ハプキド)と合気道(アイキドウ)も韓日両国の文化の影響を受けて独自の近代武芸として変化・発展したということだ。

崔龍述師範は植芝盛平(1883-1969)とともに武田惣角のもとで大東流柔術を習った。その後、韓国で合気道(ハプキド)を、植芝は日本で合気道(アイキドウ)を創始した。解放後に帰国した崔龍述師範は1951年に大邱(テグ)に道場を建てた後、本格的に合気道(ハプキド)を広め始めた。

合気道(ハプキド)は合気道(アイキドウ)とは違い、蹴りなど打撃術を持つ。山が多い地形のため骨盤が発達して足を使うことを好む韓国の文化が反映された。イ氏は「学界では大東流柔術について三国時代の武芸が日本に転移して長い歳月にわたり実戦武術形態に発展した武術という見解もある」とし「起源論争自体が無意味」と主張した。

「名前を変えようという話もある。合気道(ハプキド)はすでに世界的にも名前が知られていて、起源をめぐる論争をするのは韓国しかないため、改名は敏感な事案だ。名前を突然変えればそれによる混乱も生じる。合気道(アイキドウ)が合気道(ハプキド)の原形だと主張する人の中には、合気道(ハプキド)から派生した新生武術の創始者が時々いる。自分の武術を強調しようとする商業的な態度と無知のために合気道(ハプキド)に対する否定的な見解が増える」。

イ氏は合気道(ハプキド)をめぐる論争より「武道に対する武道人の姿勢が問題だ」と指摘した。自分がしている武道を深く学ぶ態度が必要という主張だ。イ氏は「武術の種目は19世紀後半から分かれた。それ以前は韓日中ともに相撲や手搏という言葉ですべての武術を通称した。このような背景を知らない人たちが合気道(ハプキド)の起源に執着する」と話した。

イ氏は最近人気があるUFCなど格闘技スポーツにも厳しい忠告をした。「単に勝ち負けと技術にこだわれば、武術は低級な身体文化として残るしかない」という批判だ。イ氏は「武道は社会性と人格を育成する生産性価値が必要条件だ。これを知らなければ単に実戦中心の技術に集中する。最近UFCなど刺激的な格闘技スポーツが流行しているが、心配になる理由だ」と説明した。

「UFCのチャンピオンを尊敬するとは聞かない。それに対して武道家は尊敬の対象になる。うまくて実力が優れているからではなく、武道には価値が込められているからだ。技術だけを重視して勝敗を決めることを目的とするのは偏狭な『武侠誌武芸史観』だ。運動をする人は無知だという誤った認識から抜け出すことができない理由でもある。武道が歴史性と価値を認められ、高級文化に発展するためには、武道家が自ら深く勉強して研究しなければいけない。本を書くことになった最も大きな理由はここにある」。

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