【グローバルウォッチ】1980年光州の流れ変えた米国の「チェロキー作戦」(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.10.13 14:59
私は韓半島(朝鮮半島)問題を扱う大学院生のために毎年講義を開設している。光州(クァンジュ)はその一週間分になる。最近の映画『タクシー運転手』の興行成功、1980年光州に対する文在寅(ムン・ジェイン)大統領の高い関心、5・18光州民主化運動特別調査委員会の発足に際して、同事件に対する米国側の見解を改めて洗い直すことになった。
朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の逝去翌月である1979年11月、ジミー・カーター米大統領は韓国の状況を分析するために「チェロキー作戦(Operation Cherokee)」というグループを結成した。光州の悲劇はイランの首都テヘラン駐在の米国大使館が占拠された後に起きた。イランの状況は韓国にも長く暗い影を落とした。駐韓米国大使館の報告書を含めて「チェロキー作戦」が作成した文献の秘密が解禁され、当時のそのような雰囲気を読むことができる。私は「チェロキー作戦」の文書を受講生に読ませた後、「米国は対応の方法を変えるべきだったのだろうか」というシンプルな質問を投じる。興味深いことに、全斗煥(チョン・ドゥファン)の1979年12月の軍部クーデターから80年光州につながる状況については、毎年講義するたびに学生は激しく意見を対立させる。