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【社説】「大韓帝国無知」が引き起こす「大韓民国建国」議論(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2017.08.20 13:05
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文在寅(ムン・ジェイン)大統領が光復節の祝辞で「建国節議論」に再び火を付けた。文大統領は「2年後の2019年は大韓民国建国と臨時政府樹立100周年を迎える年」と規定した。また「来年の8・15は政府樹立70周年」と付け加えた。「臨時政府記念館」も建設すると述べた。自由韓国党をはじめとする保守陣営は1948年に大韓民国が建国されたと主張してきた。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代まで建国節議論はなかった。「3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統を継承する」と明示した憲法をだれもが尊重したためだ。李明博(イ・ミョンバク)政権時代に一部のニューライト学者が大韓民国建国は1948年だと主張し議論が始まった。

われわれは抗日独立運動の歴史を明らかにしようとする文大統領の基本的な意向にはわずかの異議もないことをあらかじめ明らかにする。だからと言って「1919年建国」が正しいという話ではない。ニューライトが建国節議論を起こした背景には盧武鉉政権時代に刊行された「近現代史教科書」の左偏向議論があったことを忘れてはならない。建国節議論はすでに政派争いでおなじみの素材になった。文在寅政権がいくら良い意図を標榜するとしても議論は繰り返されるだけだ。われわれはより根源的次元からこの問題を探ってみることを提案する。

 
「大韓」という国号を使った政府は歴史上3つある。大韓帝国、大韓民国臨時政府、大韓民国だ。文大統領は大韓民国臨時政府から大韓民国への継承だけを言及した。大韓民国臨時政府が「大韓」という国号だけでなく大韓帝国の近代的成就をほとんど継承したことを文大統領は見逃している。それは文大統領だけの誤りではない。大韓帝国を強制併合した日帝は大韓帝国を滅びても安い傀儡国に歪曲した。光復70年が過ぎたのに歪曲された歴史認識は変わらない。われわれが日常で平然と使う用語を見よう。いわゆる「甲午更張」「乙未事変」「俄館播遷」という名称は徹底的に日帝の見方で作られた言葉だ。「植民地フレーム」(植民史観)はわれわれの中に深々と入ってきている。(中央SUNDAY第545号)




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