【コラム】韓国の不良外交と針の穴探し(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.08.08 11:20
この激しい三伏の暑さに600万人の観客を動員した映画『軍艦島』。この映画が事あるごとに気になるのは、光復節(解放記念日)が近づいたためだけではなかった。何年か前、大学同僚と行った歴史探訪の道が厳しい波に阻まれた記憶が新しかった。端島のその激浪は小さな連絡船を容赦なく襲ったが、海軍将校出身の同僚も手すりを握って縮こまっていた。夕立が激しく降った。波間から中世の城壁のようにそびえたった軍艦島が揺れていた。当時、脱出を敢行した朝鮮人徴用者を水葬したその波だった。
航路を変更した。帰航の途で立ち寄った孤島には三菱炭鉱歴史館があった。坑夫の作業服や掘削機、蟻の穴のような海底坑道や装備が帝国日本の自負心のように光っていて、地上には三菱創業者岩崎弥太郎の銅像が立っていた。朝鮮人の足跡は消されていた。当時、長崎工場地域に連れられてこられた朝鮮人の数は約2万人、高島と端島炭鉱だけで約4000人にはなるだろう。端島で抗争は起きなかった。死の奴隷労働を長崎に投下された原爆が終わらせただけだ。映画『軍艦島』のように、日本軍を殺して石炭輸送船に乗りこんだ徴用者らの帰郷闘争は想像の恨み晴らしだ。解放72周年、私たちはまだ想像の復しゅう戦を終わらせることができないでいる。残酷な植民の記憶はこれほどに痛い。