水底1000メートルで窒息死・圧死…日本軍艦島は「地獄島」そのもの(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.07.03 13:47
軍艦島にも韓国人徴用者がいた。韓国人が初めて流入したのは1917年と推定され、37年の日中戦争後、その数は大きく膨らんだ。生存者の証言によると、1943年から45年間約800人の韓国人が働いていたものと推定される。彼らは非人間的な環境で苦痛を受けた。海水面1000メートルの深さの海底炭鉱で、最も危険な採掘場所に配置されることが常だった。高さが50~60センチにしかならないほどの狭苦しい空間で、横になった姿勢で石炭を掘ったという。摂氏40度を越える炭鉱には海水が入り込み、坑内はガスが埋まって爆発の危険も高かった。トイレもない空間で労働者たちは一日2交代で12時間以上働いた。ちゃんとした食事も提供されなかった。
このような劣悪な環境で病気になったり炭坑事故や栄養失調で死亡したりする人々が多かった。逃亡を試みたが溺死する場合もあった。1986年、日本の市民団体が発見した当時の死亡診断書によると、韓国人122人が事故死・窒息死・圧死などの理由で死亡した。
2014年、日本は軍艦島など九州一帯の23カ所の施設を世界文化遺産として登録するためにユネスコに申請した。申請理由として、日本は「西洋から非西洋への産業化の移転が成功し」、「19世紀後半から20世紀の初頭にかけ、日本は工業立国の土台を構築し、後に日本の基幹産業となる造船,製鉄・製鋼,石炭と重工業において急速な産業化を成し遂げた」と提示している。