【噴水台】韓国があきれる
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.04.07 08:15
欲が行き過ぎた。人事発令が出た後、3日朝、馴染みのある記者室を離れる私の手に持たせたカバンはスーツケースを含めて5つ。光化門(クァンファムン)政府ソウル庁舎6階の記者室から2つのセキュリティゲートを通過する道のりは遠くて険しかった。すべてが愚かな自分のせいだが、荷物を移しながら少し、いやとても寂しかった。通り過ぎている人の中で誰も助けてくれなかった。私がJTBCドラマ『力の強い女ト・ボンスン』に近いという点は認める。それでも、重い荷物を手にして息を弾ませている仲間の市民に暖かい手を差し伸べる人が「ゼロ」というのは恥ずかしい自画像だ。
韓国の外では違った。2012年ロンドン夏季オリンピック(五輪)では「私が助けましょうか」と言った現地の紳士が、2015年ニューヨークJFK空港では「今助けが必要でしょう」と言った現地の女性が、先月京都では「ひょっとして今困っているなら、お手伝いをしてもいいでしょうか」と言った現地(ひいては)おばあさんがいた。他人に対する真の意味の善意が生きていた。大英博物館より、ニューヨーク現代美術館(MoMA)より、京都の散らばる桜より、このような普通の人々の善意がとてもうらやましかった。