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<札幌アジア大会>韓国男子アイスホッケー、宿敵・日本に4-1完勝

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.02.25 14:14
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「お前は韓国人だ。日本に必ず勝て」。

韓国男子アイスホッケー代表のペク・ジソン監督(50、米国名ジム・ペク)の父、故ペク・ボンヒョン氏が2014年に亡くなる前に残した遺言だ。1967年にソウルで生まれたペク・ジソン監督は1歳の時にカナダに移民した。北米アイスホッケーリーグ(NHL)のピッツバーグ・ペンギンズのDFとして活躍した彼は1991年、92年にスタンレーカップ優勝を経験した。NHLチームからコーチのオファーを受けたが、ペク・ジソン監督は父の遺言のため2014年8月、母国の代表チームの指揮棒を握った。

 
当時、まだ韓国アイスホッケーは日本の相手にならなかった。ヤン・スンジュン大韓アイスホッケー協会専務は「1996年に実業チームの安養漢拏(アニャンハルラ)が日本チームの王子製紙に交流戦を要請した。しかし両国の実力差があまりにも大きいという理由で門前払いされた」と振り返った。

韓国は1982年の0-25の惨敗をはじめ、34年間で日本戦の成績は19敗1分けだった。2003年の青森アジア競技大会では1-11で完敗した。日本のアイスホッケーは登録選手(1万8988人)が韓国(2591人)の7倍にのぼるほど層が厚い。韓国は冬季オリンピック(五輪)の舞台を一度も踏むことができなかったが、日本は8回も出場した。

日章旗を見るだけで震えていた韓国が、ペク監督の就任後、日本に3連勝した。韓国(世界23位)は24日、札幌で行われた2017札幌アジア競技大会男子アイスホッケー第2戦で日本(世界21位)に4-1(1-0、1-0、2-1)で完勝した。

韓国は2015年4月26日の世界選手権で日本に初めて勝利(3-0)した。4月26日はペク監督の亡くなった父の誕生日だった。韓国は今月11日に高陽(コヤン)で行われたユーロチャレンジでも日本を3-0で降した。当時日本は有望株で構成された1.5軍で試合に臨んだ。

札幌アジア競技大会を迎え、開催国の日本は精鋭メンバーを構成した。NHLでプレーした経験があるGK福藤豊らを補強し、最強チームを構成した。一方、韓国はエースのマイク・テストウィードが肩のけがで抜けた状態だった。韓国は22日、カザフスタンとの第1戦で0-4で敗れたが、日本戦は違った。

第1ピリオドにソ・ヨンジュン(高麗大)の強力なスラップショットで先制点を挙げた。第2ピリオドにはマイケル・スウィフト(ハイワン)が、第3ピリオドにはキム・ウォンジュンとパク・ウサン(漢拏)が得点した。GKのマット・ダルトン(漢拏)は日本の波状攻勢を全身で防いだ。2118人の観客が入った月寒体育館に重い沈黙が流れ、試合後には愛国歌が力強く響いた。日本戦の勝利で韓国は2位(1勝1敗)に上がった。今大会は韓国・カザフスタン・日本・中国がリーグ戦を行う。歴代アジア競技大会で韓国の最高成績は2011年の銅メダルだ。

「氷上のヒディンク」と呼ばれるペク監督は開催国資格で出場する2018平昌(ピョンチャン)五輪で奇跡を夢見ている。2002韓日ワールドカップ(W杯)4強神話を築いたフース・ヒディンク監督(オランダ)は無名だった朴智星(パク・チソン)と大学生のチャ・ドゥリを抜てきした。ペク監督も学縁・地縁を排除し、実力だけを見て選手を選抜した。このおかげで韓国代表は短期間に大きく成長した。3年前には想像もできなかった日本戦3連勝を成し遂げた。

試合後、キム・ウォンジュンは「日本にはジャンケンでも負けてはいけないと考えた」と言って喜びを表した。ペク監督は「日本戦では選手たちの執念がすごかった。アジア競技大会の金メダルを取るのは容易でないが、それでも我々はずっと発展していく」と語った。

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