<金正男毒殺>「毛沢東さえ世襲しない」批判後、金正恩委員長と葛藤深まる
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.02.15 15:53
「私が留学のため離れた後に私の異母弟の金正哲(キム・ジョンチョル)、金正恩(キム・ジョンウン)、金与正(キム・ヨジョン)が生まれ、父の愛情も彼らに傾いたようだ。私が完全に資本主義の青年に成長し、北朝鮮に戻った時から父は私を警戒したようだ。おそらく父の期待とは違っていたのだろう」(五味洋治著、『父・金正日と私 金正男独占告白』)
13日に死亡した金正男(キム・ジョンナム)氏は父の金正日(キム・ジョンイル)総書記から遠ざかっていく状況をこのように明らかにした。日本の言論人と2011年3月にやり取りしたメールでだ。「留学中、私はスイスのジュネーブにいて、兄弟はベルンにいた。お互い会ったことはない」という金正男氏の言葉に、同じ父を持ちながら後継権力をめぐり離れるしかなかった平壌(ピョンヤン)権力内部の冷酷さが表れている。このようなメールを書いてから9カ月後、金正日総書記が突然死去し、金正男氏は絶対権力を握った異母弟の金正恩委員長から警戒される状況になった。
金正男氏は金正日総書記と女優の成ヘ琳(ソン・ヘリム)氏の間に最初の息子として生まれた。人妻だった成ヘ琳氏に一目ぼれし、強制的に離婚までさせて一緒に暮らしながら得た息子だったため、格別の愛情を注いだという。出生当日の1971年5月10日の状況を成ヘ琳氏の姉・成ヘ琅(ソン・ヘラン)氏は亡命後に出した自叙伝でこのように記述している。「寝耳に自動車のクラクションが聞こえた。4階だった私の家の窓側に行くと、暗いところに大きな黒い乗用車が見えた。金正日書記だった。『いまヘ琳が息子を産んだ』と彼は話した。彼の顔には喜びが表れていた」。