【コラム】韓国社会は公正なのか(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.02.13 10:12
「韓国社会は公正なのか」という問いが増えている。昨年末の法曹不正事件、そして今までの弾劾政局で明らかになった権力の乱用とそれによる私益追求の様子から出たものだ。そのためだろうか、代理満足を追及する現象が現れている。ドラマや映画で法と正義のストーリーがしばしば登場している。韓国ドラマ『町の弁護士チョ・ドゥルホ』、そして最近ではドラマ『被告人』と映画『再審』(原題)などがある。主な内容は正しくない世の中を断罪する司法システムも権力やお金の前にひざまずき、それに主人公が立ち向かって戦うというものだ。国民はこれを通じて一種のカタルシスを感じている。
公正という意味が何かに対しては見解が分かれるが、概して機会の均等と配分の均衡と言われる。しかし、どの程度が公正なのかはその基準が曖昧だ。既得権が持てる人と持てない人、中高年世代と青年世代、そして保守と進歩がそれぞれ異なる基準を有している。最低基準だけでも共有する必要があるが、今までは生計の問題に集中してきたので、残念ながらも公正という話題を全体構成員が共有した経験は多くない。見解の差は、概念を独占させる。すなわち、自身は公正だが他の人々は不公正だと考える現象だ。このような考えは社会的分裂や対立の原因になる。