<韓国民主主義30年>(上)対共分室・拷問は消えたが「帝王的大統領」の弊害は相変わらず(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.01.09 14:39
1987年6月の抗争は有権者が直接選ぶ大統領を生み出した。想像の中にあった民主国家の大統領直選制と平和的な政権交代が現実になった。制度的・手続き的民主主義が根を下ろし始めた。立法・司法・行政の三権力が分離し、軍の政治介入も遮断された。権力の野蛮な暴力の象徴だったソウル南山(ナムサン)の国家安全企画部と南営洞(ナミョンドン)対共分室も歴史の裏側に消えた。
公権力の露骨な暴力は消えたが、時々姿を現した。2002年10月にはソウル地検議政府(ウィジョンブ)支庁のホン・ギョンリョン検事が捜査官の過酷な行為を指示・放任し、チョ容疑者が死亡した。拷問致死の亡霊が再び登場すると、国民は激怒した。2010年にはソウル陽川署で腕をねじる過酷な行為が明るみに出て非難世論が強まった。国家の暴力が出てくるたびに市民はパク・ジョンチョル拷問致死事件を思い出し、二度とあってはいけないと声が高まった。
では、暴力の時代は終わったのだろうか。専門家らは「そうでない」と答える。ユン・ピョンジュン韓神大政治哲学科教授は「国家情報院の盗聴・傍受から青瓦台の民情首席室を利用した便法の検察活用まで、さまざまな形で国家の暴力は繰り返される」と指摘した。公権力の暴力はより巧妙で偽善的な方法を探していった。