明成皇后の本当の顔、今度こそ明らかに?
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.12.19 08:15
明成(ミョンソン)皇后(=閔妃)の写真をめぐるミステリーは今度こそ明らかになるのだろうか。1895年10月8日、景福宮(キョンボックン)で殺害された悲運の明成皇后。葬儀も死後すぐに行われず、2年後の1897年11月21~22日に行われた。その葬儀の様子を伝える118年前の新聞が見つかった。1898年1月9日付の米日刊紙「サンフランシスコ・クロニクル(San Francisco Chronicle)」だ。長文の記事とともに明成皇后の挿絵が載せられている。
記事を書いた者は安重根義士が「韓国人なら一日も忘れることはできない人物」と言って尊敬の意を表したホーマー・ハルバート(Homer Hulbert)博士(1863~1949)だ。韓国初の近代式官立学校「育英公院」の教師で、1886年に同校に招へいされた人物だ。高宗(コジョン)と明成皇后が推進していた朝鮮の近代化改革を支持して韓国の独立のために尽くしたものの、1907年日帝によって強制追放された。
今回の記事を発掘したのはハルバート博士記念事業会の金東珍(キム・ドンジン)会長だ。金会長は19日午前10時30分、ソウルYMCA大講堂で「ハルバート博士来韓130周年記念国際学術会議」を開いてこの内容を公開する予定だ。