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【噴水台】つらい劇場の社会=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.08.17 16:50
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映画を見るのはつらい。時間がないわけでもチケットが手に入らないわけでもない。ただ、つらいということだ。カロリーの消費も多いのが明らかだ。振り返ると最近の事態の始まりは『哭声』だった。休む暇もなく驚き、頭の中が複雑になった。映画が終わっても怖さは続いた。息をのむような緊張は『釜山行き』に続いた。列になって劇場から出てくる人々の姿が怪物のように見えるのも苦痛だった。パニック映画の劇的要素を幅広く持つ『トンネル』も不規則呼吸を誘発した。この映画で「頭を冷やす」機能は最小化された。

3つの映画は人が死んで生きる問題を扱った。ともに生きるためにもがく人が主人公だ。死んだり死の危険に置かれた人に、そのような目にあわなければいけない理由はなかった。ただ突然わけも分からず生死の岐路に立った。演出力のおかげで観客は自分がその中にいるように感じる。はらはらして力が入る。

 
記者は映画を見るのがもっとつらい。『哭声』で新聞は警察のお粗末な捜査内容をそのまま伝える「無脳的」存在だ。『釜山行き』でメディアはゾンビを暴徒と報道し、真実と怪談を入れ替える。トンネル』には、遭難者の危険は考えず報道競争しかない非常識な記者が群れで登場する。『内部者たち』でピークに達した映画のメディア詰問はこのように続いた。

1960年代にフランス映画の「新しい波(ヌーベルバーグ)」を主導したジャン=リュック・ゴダール監督は「写真が真実なら映画は毎秒24倍真実」と述べた。1秒あたり24枚の写真(フィルム)が映写機に映って作られる映像は誇張・飛躍があるが事実を投影するという意味だ。これによると、特に過ちがないにもかかわらず突然人生の危機に直面し、「生きるか死ぬか」の精神で生きていく普通の人々の不安が映画を通じて「拡張現実」になった。記者とメディアに対するきまり悪い描写も実在する不満の増幅と解釈することができる。

経済協力開発機構(OECD)が15日に公開した資料によると、韓国人の平均労働時間は加盟国のうち2番目(1番目はメキシコ)に多いという。所得水準は34カ国のうち22番目だった。余暇時間が少なく所得が多くないため、2、3時間の遊び場である映画館に集まる。スクリーンは現実ほど「ハードコア」の映画が占領する。そうでなければ非現実的な作品になって避けられる。我々は果たしてこのつらい劇場のトンネルから、拡張現実の殺伐な画面から抜け出すことができるのだろうか。

イ・サンオン社会2部副デスク

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