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【噴水台】外国人に対する私たちの姿勢=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.08.05 08:48
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幼少期、今では撤去されたサムイル高架道路に乗るたび気になっていた。平和市場を通り過ぎる頃に見かける大型衣類の広告看板の中のモデルはなぜみな白人の男女なのだろうか。その時も大韓民国は露骨に「単一民族」であることを自慢していたりしたという話だ。外国人モデルが着れば同じ服がもっと素晴らしくなるのだろうか。国内滞在の外国人の数が200万人を超え、世界が韓流スターに熱狂する2016年8月であり、「メード・イン・コリア」のストッキングでありながら下着の包装紙には依然として名前の知らない白人モデルがポーズを取っている。

私たちの中の外国人コンプレックスがこのような広告に投影されたのでないかと考えてみる。実際に私たちは外国人が私たちをどのように見ているのかについて非常に敏感だ。あ、外国人というよりは英語圏の白人だと特定するほうがもっと正確だ。該当外国人がハーバード・オックスフォードなどのエリート出身ならば敏感度は垂直上昇。ニューヨークタイムズなど有数の海外メディアが韓国を扱う報道について一喜一憂するのも同じ脈絡だ。

 
ヒョン・ガク僧侶がフェイスブックで曹渓宗(チョゲチョン)を批判した文が熱い論議になっているのもこうした面で探ってみる必要があるのではないだろうか。ヒョン・ガク僧侶は米国人であるので「青い目の修行者」であり、ハーバード大の学位まで持つという三拍子をあまねく備えた人だ。このような僧侶が韓国との25年の縁を切ると言い、「祈福=ドル」だとして韓国の仏教文化を批判した。もともと本人は「私のつたない韓国語の実力」のためだとして自身の意が誤って伝わったと言ったが論議は一波万波だ。

ところで、ここで少し。仏教だけでなく韓国の宗教が祈福信仰の色が濃厚だということは昨日今日の話ではない。江南(カンナム)の寺刹や汝矣島(ヨイド)の大手教会の1年の収入は数百億ウォンから数千億ウォンを軽く超える。そのような指摘をヒョン・ガク僧侶が言ったからといって韓国仏教の自省を促す声が乾いた野原に火をつけたように起きるというのはおかしくて複雑で息苦しい。論議の内容を離れ、非難に近い批判を降り注ぐ様相で世論が展開する方式が不便な理由だ。

興味深いのは、もともと外国人の視線には敏感ながらも外国人を韓国社会の一部として包容することにはケチな私たちの中の二重的な閉鎖性だ。ヒョン・ガク僧侶が削除した原文には「外国の僧侶はひたすらに曹渓宗のデコレーション(装飾品)」だという話があった。単に曹渓宗だけの問題ではない。私たちの中の問題を自ら直視しないで冷遇しながらも、外国人という他人の視線によって問題があらわれれば大げさに騒ぐ傾向は韓国社会全般に溶け込んでいる。結局、私たちがいまだに「自尊心」だけが強く、「自尊感」は低いという傍証ではないか。

チョン・スジン政治国際部記者

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