【コラム】私たちには「適当」な責任があります=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.07.15 16:18
知人を通じて少し変わったドイツ人1人と知り合いになった。韓国に来て5年になるというが韓国語はほとんど話せず、韓国の文化や歴史にもそれほど関心がないようだった。話を聞いてみると、当初の計画は日本の大学院で修士の勉強をする予定だったが、日本では奨学金を受けることができず、次善策として奨学金を受けることができる韓国に来たということだった。そのためか日本の食べ物はよく食べるが、少しでも辛そうな韓国の食べ物には手を付けようともしなかった。また、修士プログラムは英語で行われたため韓国語を習う必要がなく、現在勤務している韓国の会社でもそれほど不便は感じないという。
しかし対話が進むほど、このドイツ人は韓国の生活に対する不満を語り始めた。まずソウルの公害がひどく、日本に比べて街が汚く、社内の文化が極度に硬直していて息苦しいということだ。権威主義、序列文化が激しく、会議の時間にいくら創意的なアイデアを出してもいつも上司から無視され、変わるものは一つもないということだ。問題点ばかり次々と取り上げて指摘するこのドイツ人の話を聞いていると気分はそれほど良くはなかったが、間違った話でもなく、西洋人は韓国の会社で苦労が多いという考えにもなった。
助言になるだろうかと思いながらも、韓国でなく日本で働くのはどうかと尋ねてみた。最初から韓国に来る計画ではなかったし、日本の文化や食べ物に関心を持っているからだ。すると、このドイツ人はそうでなくても日本で働こうと東京の会社で2カ月間のインターンシップを経験したと答えた。ところが実際に日本で生活してみると、韓国よりも息苦しかったという。韓国の人々は嫌なら嫌だと話したり表情に表れるが、日本の人たちは内心が分からず苦労したと語った。