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【グローバルアイ】田中角栄の復活

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.04.26 08:05
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日本戦後史で田中角栄(1918-93)ほどストーリーが多い首相はいない。8年課程の小学校を卒業した後、労働者から土建会社の社長を経て72年に最年少(54歳)首相になった。退任後は米ロッキード旅客機の導入に関与した在任当時の収賄容疑で検察に逮捕された。前代未聞の事件だ。保釈された後には被疑者身分の無所属議員でありながらも巨大派閥の領袖として自民党を掌握した。大平・鈴木・中曽根政権は田中派の支援で誕生した。田中が「闇将軍」として再君臨した時期だった。立志伝的な庶民宰相から金権政治の本山まで田中の人生はドラマより劇的だ。

最近、日本で田中ブームが起きている。昨年以降、彼に関する本が13冊も出版された。他界後に出てきた本は計140冊にのぼるという。近著の白眉は石原慎太郎元東京都知事の『天才』だ。いくつかの点で興味深い。田中批判の先鋒に立った国粋主義者の石原が、彼の人生を1人称ノンフィクション小説で描いた。石原は74年、文芸春秋への寄稿を通じて田中の金権政治批判を始め、首相の失脚のきっかけを作った。その石原が田中を天才・愛国者として扱った。

 
石原が注目したのは先見の明だった。田中は33件の議員立法をした。公営住宅法や道路法などほとんどが生活インフラ整備と国土開発に関するものだった。田中は論争を招いた時は現場主義を掲げた。「あなたは肉体労働で汗を流しながらトロッコを押したことがあるのか」と話したという。郵政相当時は43の放送局を許可してテレビの時代を開いた。日本列島改造論は新潟県出身の田中の原点だった。都市と地方の格差解消のために新幹線と空港・道路を拡充した。大規模な工業団地も建設した。インフラ先進国の日本の姿はこの時期に形成された。石原は「戦後の繁栄と新しい文化・文明の相当部分を田中が作ったのは間違いない」と述べた。公共事業は田中の金脈でもあった。石原はロッキード事件を米国の陰謀と見る。72年の日中国交正常化、翌年の第1次石油ショック当時、米石油メジャーに依存しなかった資源外交の自主路線が禍根だったという考えだ。『天才』は1月に出版されて以来、販売部数が60万部を超えた。

田中ブームを見る視点はさまざまだ。ノンフィクション作家の大下英治は「現在の蒸溜水のような政治家に対する批判」と話す(毎日新聞)。危機と停滞の時代に情とパワーを同時に持っていた田中ならどのようにするだろうかという国民の期待感が溶け込んでいると述べた。田中の秘書を務めた鳩山邦夫議員は人間学の天才だと紹介した。度胸の裏に細心の配慮もあったという。多くの人々の言葉の共通分母は、人のにおいがする、国民に夢を与えた政治家の田中だ。彼は決断と実行の指導者としても記憶されている。指導者と政治家の真のリーダーシップを渇望している国は日本だけでないような気がする。

オ・ヨンファン東京総局長

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