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「情報が命」…東日本大震災当時、手書きで発行した日本の地域新聞(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.08 10:44
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死亡・行方不明者1万8000人余り。住宅損壊40万戸に浸水面積561平方キロメートル。そして福島第1原発の放射能流出事故…。

東日本大震災が11日で満5年を迎える。だが例のない複合災難の余波は現在進行形だ。18万人余りが仮設住宅などで生活している。福島原子力発電所一帯は近くて遠い故郷だ。6つの地方自治体が帰宅困難地域に指定されている。

 
地震前に54基あった原子力発電所は現在4基が稼働している。課題は1つや2つではないが復興スピードは速まっている。地域コミュニティも復元されている。自然の挑戦と相対して戦っていくヒューマンストーリーも終わりがない。

2011年3月11日午後、大地震が襲った宮城県石巻市の石巻日日新聞2階社屋。近江弘一社長(57)と当時報道デスクだった武内宏之常務(58)は、暗闇の中で深い苦悩に陥っていた。電気は止まり、新聞を印刷する輪転機は水没していた。家族の安否も確認できなかった。それでも地域住民に必要な情報は知らせなければならなかった。

人口16万の石巻市は当時、廃虚に変わっていた。家屋2万戸が全壊した。死亡者3178人、行方不明者が422人にも上った(今年3月現在)。津波が襲った地方自治体の中で被害が最も大きかった。新聞社はそれなりに高い場所にあり、1階の一部だけが浸水した。

その日の晩、近江社長は手書きの新聞発行を決めた。「紙とペンがある限り休刊してはいけない」と考えたという。幸い新聞の印刷用紙がぬれておらず、カット機で切断できた。石巻日日新聞の1枚の手書きの壁新聞6部はそうやって始まった。新聞は夕刊で当時、創刊99年目だった。発行部数1万4000部、社員は現場の記者6人を含め28人。彼らの家族も例外なく大震災の被害者だった。取材に出て行った熊谷利勝記者ら2人は津波に巻き込まれたが、かろうじて命拾いした。

3月12日、新聞社1階の社長室のそば。武内デスクが取材内容を読み、近江社長が油性ペンで壁新聞1号を書いていった。市役所に出ていた取材記者らからもらった情報を土台にした。横83センチ・縦115センチに切った白紙の新聞用紙が整然と文字で満たされた。内容はできるだけ目で確認した事実を扱った。テレビの情報と現場の記者の間の情報には微妙な差があったからだ。


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    「情報が命」…東日本大震災当時、手書きで発行した日本の地域新聞(1)

    2016.03.08 10:44
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    東日本大震災時、石巻日日新聞の報道デスクだった武内宏之常務が4日、新聞社の博物館に展示された手書きの壁新聞について説明している。
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