【グローバルアイ】東日本大震災5年、イチゴ1粒の希望
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.08 09:44
2011年3月、東日本大震災と津波が襲った宮城県山元町。家と建物は高さ10メートルの泥水に流され、町の40%が水に浸かった。住民1万6711人の4%にあたる636人が命を落とした。被災者も9000人に達した。収容できた遺体は共同埋葬された。生き残った人々は、すぐに生計を心配しなければならなかった。農耕地や工場、商店街の大部分が廃虚に変わるなど生活の基盤が消えてしまったからだ。住民たちは1人2人と故郷を背を向けた。4000人ほどが離れ、5年が流れた今は1万2566人が残った。
最近、山元町を訪れた。津波の跡は簡単に見つかった。空き家の跡地と荒れ地のように放置された田畑、仮設住宅で依然、かろうじて暮らしている一部の住民たち。時間はいち早く流れたが、傷は癒えないままだった。東日本大震災前の山元町は、日本でも指折りのイチゴ生産地だった。ところがイチゴ農地の95%が荒々しい波に飲み込まれながら農家は絶望に陥った。