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【コラム】韓国の若者たちよ、自分の声を出せ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.01.28 10:48
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在韓ブラジル大使館で教育担当官として働いていると、ブラジルはもちろん韓国の若者に会う機会も多い。彼らと接するたびに感じることが「本当に懸命に生きている」ということだ。大学に入ろうと熱心に勉強したのも足りず、入学後も単位をしっかり取るだけではなく時間を割いて多様なサークルや対外活動、語学研修や海外ボランティア活動などをする。この程度でもすごいが、「就職のために英語と第2外国語、コンピューターの資格証なども取って、どこどこの会社でインターンもする計画」という若者たちを見るたびに驚くばかりだ。体が10あっても足りないという気がする。

問題は、このように世の中で誰よりも懸命に生きているのに悩みがいっぱいだという事実だ。JTBCの番組『非首脳会談』を収録する時に扱う悩みは、ほとんどが20~30代の若者から送られてきたものだ。就職・借金・アルバイトなど多様な悩みに向き合って彼らが直面した現実を少なくとも感じることになる。したい仕事をやれるようにしてやったという口実で報酬をまともに支給しないという意味の「情熱ペイ」や、親の能力や暮らし向きに余裕がない若者たちを意味する「土の箸とスプーン」のような新造語に、非首脳会談でしばしば接することになる。そのたびに腹が立ったり悲しくなったりする複雑な気持ちになる。

 
こうした若者たちの問題の原因は何だろうか。もし誰かが大韓民国の若者が「努力していないから」「もっと懸命に生きていないから』難しいのだと主張するならば、それは本当に大きな錯覚だと話してあげたい。また別の誰かが「もともと若者は大変で辛いもの」「私たちの時も皆そうだったのだから君たちも耐えて持ちこたえれば良い」と話すならば、これもまた間違っていると言いたい。どうにかして良い暮らしをしようと熱心に努力している若者たちが、その努力と情熱の正当な代価を受け取ることができないならば、それは若者の犠牲だけを強調する社会構造の問題であるためだ。

これを解決するには若者たちが自身の声を出さなければなければいけないと思う。それでこそその声を正しく聞いてくれる窓口ができるだろう。何人かの若者が勇気を持って先に立てば十分に可能だ。韓国の若者たちが熱心に生きる姿を見れば、偉いけれども一方では脇を見ることができないよう目にブリンカーをつけさせられた競走馬のようだという気がする。そのブリンカーは果たして誰がつけたものなのだろうか。そしてそのブリンカーは誰の手で取りはがすことができるだろうか。誰かが取ってくれるのを待っていてはいけない。若者たちが自身の手でブリンカーを投げ捨てて、隣にいる人たちと共にしたり、後ろにいる人たちに目を配ったりして、人生を幸せに生きていけばいいと思う。

カルロス・ゴリトJTBC『非首脳会談』出演者

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