<野球>「日本を圧倒する韓国打者のパワー」
ⓒ ISPLUS/中央日報日本語版2016.01.05 15:58
プロ野球でアジア系選手の米国初進出は1964年に遡る。当時、南海ホークスに所属していた村上雅則という左腕投手だが、1964年にサンフランシスコ・ジャイアンツのマイナーリーグに行き、同年9月にメジャーに昇格した。翌年4勝1敗、防御率3.75をマークするなど通算5勝1敗、防御率3.43と好投した。
結果はさておき、目を引くのは「過程」だ。当時、南海ホークスは練習のためサンフランシスコに3人の日本選手を送った。村上が好投手だったため、当時のアル・ダーク監督をはじめとするコーチングスタッフは2人の選手は日本に帰し、村上だけを残した。見方によってはルール違反だ。日本の立場では新人級の選手が米国で好評価を受けたのはよいが、南海の立場では戦力に必要な選手を連れてこなければならない状況だった。この問題などを理由に日本と米国は1967年、日米プロ野球協定を結び、「協会に依頼した後に選手を迎え入れることができる」という約束をした。