「ものづくりで武装した日本技術者、中小企業に大きな資産」(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.12.31 15:32
1961年、故・全仲潤(チョン・ジュンユン)三養(サムヤン)食品会長はラーメン製造に参入することにした。米軍が食べ捨てた残りもので作った「クルクリ粥」もなく食べられない人々の姿を見たからだった。日本の明星食品本社に行った。技術確保のためだった。当時の明星食品の奥井清澄社長は全会長に「第2次大戦で崩壊した日本が朝鮮戦争(韓国戦争)で立ち直ったので借りを返す時だ」として支援するといった。だがスープ配合の比率は伝えなかった。挫折しながら国内に戻る飛行機の座席に座った。その時だった。奥井社長の秘書が静かにやってきて封筒を渡した。配合比率が入っていた。国内で最初のラーメンである三養ラーメンはこうして誕生した。
50年余りが流れた。両国間は良い時も悪い時もあった。だが企業家の交流と協力は続いた。韓日産業技術協力財団の「日本退職技術者誘致事業」もその1つだ。国内の中小企業は日本の職人精神である「ものづくり」で武装した技術者の指導を受けながら成長している。