【コラム】未生が完生できない韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.11.26 11:37
青年世代の夢は「就職」だ。夢とは現実で成し遂げるのは難しいが美しく理想的な望みだ。ところが最も現実的な生活の基本となる働き口を持つことが青年たちの望みだ。「夢」という単語の意味が変質していたり、そうでなければ韓国が青年に生活の基本さえも用意することはできない惨憺とした状況に至ったのだ。何が真実だろうか。若者たちがサムスン電子や現代自動車のような超大企業と銀行のような大手金融機関を「夢」の職場という。そんな企業で働くからと自分の理想を繰り広げられる新たな挑戦の機会が与えられるのではない。ごく少数を除いては大部分が組織の付属品になるものだ。他の企業や組織と違うところのない会社員になるものだ。ゆえに既成世代は若者たちに望みを低くしろ、なぜ中小企業に行こうとしないのか、なぜ大変な仕事はしたがらないのかと若者たちを叱責する。しかしこれは現実を知らないことだ。青年たちがこれら企業を夢の職場と呼ぶのは極めて単純で現実的な理由のためだ。
中小企業の平均年俸は3000万ウォンに満たない。しかし夢の企業は初任給が中小企業平均よりはるかに高く、平均年俸は中小企業の3倍より多い1億ウォンを超える。青年世代を叱責する既成世代が青年だった時代はこうではなかった。80年代中盤まで中小企業と大企業の賃金格差は10%未満だったし、通貨危機前まで90年代でも20%前後だった。しかしいまは中小企業の平均賃金は大企業の半分だ。それだけでなく80年代と90年代初期までは労働者の10人中4人が大企業で働いていたが、いまは2人に満たない。いまは絶対多数である8人が大企業の半分の賃金で中小企業で働く。