【コラム】北朝鮮を知ることが統一だ(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.10.01 16:34
歴史の展開は大きく、そして小さい。小さな歴史は予告する。大きな歴史は電光石火だ。変化の兆候はある。人間はその気配に気づかない。巨大な時代の変化は予測を許さない。1989年11月のベルリンの壁の崩壊は奇跡だ。奇跡は奇襲だ。その年の初め、東ドイツの指導者エーリッヒ・ホーネッカーは「壁は50-100年は続くだろう」と述べた。歴史の荒波は傲慢を黙殺する。東ドイツの変事は青天の霹靂だ。西ドイツは奇跡をつかんだ。その329日後に統一が実現した。10月3日はドイツ統一25周年記念日だ。
大きな歴史は逆説だ。ドイツ統一は逆説の勝利だ。韓国人には「我らの願いは統一」だ。25年前、旧西ドイツの情緒は韓国と違った。彼らの統一意識は貧弱だった。彼らにとって民族的な念願ではなかった。このためヴィリー・ブラント(旧西ドイツ首相)は「韓半島(朝鮮半島)統一は東西ドイツ再統合よりはるかに早いだろう」と述べた。しかし歴史は逆に展開した。李元馥(イ・ウォンボク)徳成女子大総長はこう記憶する。「その時代のドイツの一般的な情緒は統一に対する渇望より、『統一すればよいが、だめならそれまで』という感じだった」。李総長は『遠い国、近い国』の国民作家だ。李総長は「東西ドイツの関係は感傷的・民族的というより合理・現実的な関係だった」と述べた。東西ドイツの交流は現場の実用主義で進行された。奇跡はその中で出現した。