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<栄辱の韓日戦半世紀>(下)今こそ共存の時代へ…世界制覇の日本バドミントン、その後ろには…(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.09.24 14:30
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大韓民国は「スポーツ強国」だ。最近3回の夏季オリンピックで10位圏内にしっかり名前を上げた。ワールドカップサッカーの本戦舞台にも8回連続で進んだ。昨年の仁川(インチョン)アジア競技大会では金メダル79個を獲得して日本(49個)を遠くに追いやって中国(151個)に続き2位を守った。

だが大韓民国は「スポーツ先進国」ではない。華々しい国際大会の成績と違い、底辺が脆弱だ。長年「国家のための少数、少数のためのスポーツ」を指向してきた結果だ。才能が優れた数人のエリート選手に資金とインフラを集中投資する独特のシステムのもとで獲得したオリンピックの金メダルは、該当種目の大衆化にはつなげられなかった。エリートシステムの底辺には、過程を無視したまま結果だけで評価する旧時代的な「韓日戦文化」がある。

 
韓国は1965年、日本と国交を正常化して巨額の補償金と借款をもらって経済を起こした。3億ドルの請求権資金(無償支援金)のうち半分以上を浦項(ポハン)製鉄(ポスコの前身)設立など製造業に注ぎ込み、20%は高速道路や港湾・ダムなど基礎インフラ構築に投資した。

◆責任感と不安感が交差した韓日戦=「日本がくれたお金」で暮らしの問題を解決した国民の悲哀を、スポーツ韓日戦勝利の快感が相殺した。特別な覚悟で出た韓国の選手たちは能力以上の結果を出していち早く競争力を育てた。1970年代に日本の選手との正面対決で連戦連勝したボクサー柳済斗(ユ・ジェドゥ)、「カエルバント」で1982年世界野球選手権優勝を導いた金在博(キム・ジェバク)、サッカー韓日戦で6ゴール(通算1位)を決めた車範根(チャ・ボムグン)ら「国民的英雄」も次々に誕生した。チェ・スンホ大韓サッカー協会副会長は「韓日戦に出る時は、目の前に立つ日本人選手たちよりも背中にいる観衆のほうが気になった。『気持ちのいい勝利で国民を喜ばせなければならない』という責任感と『絶対に負けてはいけない』という不安感がいつも交差していた」と打ち明けた。韓国サッカーは1983年、アジアで最初にプロリーグシステムを導入して日本に刺激を与えた。日本は10年後の1993年にJリーグを作った。

今は韓日戦に対する国民感情は以前と同じではない。韓国が多様な分野で日本を追い越して「克日」の効用が大幅に減った。体育哲学者のキム・ジョンヒョ博士(ソウル大学講師)は「日本の体育界は韓日戦に大きな意味がなかった。勝負に執着して結果だけ良ければ過程の過ちを問わない韓国とは違い、日本は着実に競争力を維持するシステムを備えようと努力した」としながら「韓国は最近になって初めて心(感性)ではなく頭(理性)で競技をとらえ始めた」と話した。

キム博士は韓日戦の価値を高める案として「システム交流」を挙げた。キム博士は「韓国のスポーツが暴力・横領・勝負操作など旧時代的な弊害から脱却できないのは、依然としてスポーツが『少数の専有物』として残っているため」としながら「日本のスポーツの核心キーワードである『sports for all(みんなのためのスポーツ)』の長所を受け入れて底辺の拡大に乗り出すべきだ」と主張した。


<栄辱の韓日戦半世紀>(下)今こそ共存の時代へ…世界制覇の日本バドミントン、その後ろには…(2)

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