<魅力コリアレポ>(2)魅力国家の条件…「古い未来」高麗から学ぼう
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.09.18 10:32
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ソウル龍山区の梨泰院小学校の児童が17日、運動場で縄跳びをしている。この学校の全校生410人のうち52人(13%)は多文化家庭で育っている。
「波が押し寄せては引いていき、行き来する船がお互いつながる。朝ここを出発すれば、一日足らずで南蛮(現中国とベトナム境界地域)に着く」(李奎報の『東国李相国集』)
高麗開京の国際港である碧瀾渡に宋の船が入ってくる日、一帯は数千の人波で埋まった。李奎報の詩句のように、漁船と官選(漕運船)、外国商船が並び、船着場の間をつなぐ船橋が形成されたりした。1014年(顕宗3年)から1278年(忠烈王4年)まで計120回ほど、約5000人の宋の人々が入国した。契丹と女真、日本、アラビアの人々が出入りし、世界に「コレア(コリア)」という名前を知らせた。