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【噴水台】中国版「降倭」=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.09.07 11:41
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16世紀末、朝鮮の歴史に大きな功績を立てたのに忘れられた人たちがいる。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に投降して朝鮮のために戦った倭兵だ。「降倭」と呼ばれる彼らは、その後の丙子胡乱(丙子の役)・李グァル(イ・グァル)の乱の時にも輝かしい戦果を立てた。『朝鮮王朝実録』によれば降倭は一時1万人に達したという。その中でも有名な人が、加藤清正の右先鋒将として3000人をつれてきた金忠善(キム・チュンソン)将軍だ。沙也可と呼ばれた彼は、丙子胡乱当時には清軍500人をせん滅した。朝鮮軍に火縄銃の製造法を伝えたのも金将軍というのが定説だ。

日本語には「寝返り」という言葉がある。投降後に敵側に立つという意だ。韓国語にはぴったり合う表現がないほどダブー視されているが、日本では珍しくなかった。戦争が絶えなかった戦国時代の頃は戦いで負けた大名と最側近の家臣は切腹しなければならなかった。だが彼らに仕えた侍(下級武士)たちは違った。敵の大将を新しい主君とするのが慣例であり恥でもなかった。

 
こうした伝統のためなのか日中戦争の時も日本軍の転向は少なくなかった。日本軍捕虜の相当数が中国側の人間的な待遇に心を変えた。3日に中国で開かれた抗日勝利70周年閲兵式で習近平国家主席から勲章を受けた小林寛澄氏もその1人だ。小林氏は八路軍に捕まった後、2回も自殺を試みたが常に中国側の看護で命を救われた。結局、彼は八路軍で日本語のビラを作って日本軍捕虜を懐柔することになる。小林氏のように中国を助けた日本人は少なくなかった。日本の敗戦後に帰国した彼らは「日本八路軍・新四軍戦友会」という団体を作って今まで日中友好の先頭に立っている。

金将軍や小林氏が投降した理由は似ている。金将軍は老いた親を背負って逃げる朝鮮の民らを見て投降を決心したという。このような孝心深い礼義の国を侵略するのは義に反すると感じたということだ。小林氏もやはり「日本軍によって凄惨に破壊された村や殺害された中国人を見て、誤った戦争だと悟った」と吐露した。壬辰倭乱や日帝の中国侵略のどちらも、義に反しているということを少なくない日本人が痛感していたという話だ。

韓日関係を改善しようとする現時点で、忘れてはいけないことがある。金忠善将軍・小林氏のように不義に耐えられない良心的な日本人も多いという事実だ。韓日間の平和の象徴に浮上した金将軍を祀った鹿洞書院(ノクドンソウォン)には毎年2000人以上の日本人が参拝している。

ナム・ジョンホ論説委員

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