【グローバルアイ】再び中曽根を振り返る
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.22 12:05
中曽根康弘・元日本首相(97)は異質な自民党指導者だった。1982~87年在任中、戦後総決算を掲げてさまざまなタブーを打ち破っていった。85年8月15日靖国神社を公式参拝した。歴代首相としては初めてだった。内政では「小さな政府」を強力に推し進めた。行政・財政改革とあわせて鉄道・電信・たばこの民営化を進めた。自民党の票田を耕し返したも同然だった。中曽根は自民党少数派閥の出身だ。政権発足当時、党と内閣の核心である幹事長と官房長官は田中角栄派だった。田中曽根内閣だという声もあった。
外政には軽武装、経済優先の吉田路線に反旗を翻した。自民党保守本流に対する挑戦だった。中曽根は86年、防衛費の国民総生産(GNP)1%内という枠組みを初めて破った。日米運命共同体論を展開することもした。日本列島をソ連の侵攻に対抗する不沈空母と言った。それでも中曽根が米国一辺倒だったわけではない。アジアも重視した。首相就任直後である83年1月、韓国にまず立ち寄り、その6日後に訪米した。その翌月には中国に特使を派遣し、国会で日本の侵略戦争を認めた。これもまた歴代首相では初めてだ。彼は日中戦争に対して「国際的にも侵略行為と判定されている。われわれはそれを受け入れる」と答えた。靖国は中国が反発すると再び参拝しなかった。