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【コラム】安倍外交の反撃モデル(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.20 08:45
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安倍晋三首相は言った。「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」。その言葉は彼の戦後70年談話の前半にある。談話は巧妙だった。核心は過去史(侵略・反省・植民支配・おわび)問題だ。それに対する語彙選択は反感を生んだ。言語の配置は反発を触発した。私の目を引いた部分がある。近代化の原動力、露日(日露)戦争だ。

日本の近代化は明治維新だ。維新は露日戦争の勝利(1905年)で完結した。維新の主導地域は長州藩(現・山口県)だ。ロシアとの戦争決行も長州の作品だ。この地域の出身者が主導した。主役は元老の山縣有朋、首相の桂太郎だ。安倍首相の地方区は山口だ。彼は長州の後えいだ。彼の歴史観の根は長州の近代史の成就だ。彼の日露戦争への言及は短い。それは自負心の圧縮だ。

 
談話の「アジア人の勇気」は孫文の熱狂だ。孫文は「日本の勝利はアジア民族が過去何百年間のヨーロッパ人との戦争で初めて収めたものだ。アジア人に空も驚く喜び(驚天喜)」とした。中国は欧州列強の略奪に疲れていた。孫文は中国人の尊敬の対象だ。だが、露日戦争は朝鮮にとっては災難だった。日本は韓半島(朝鮮半島)を独占した。乙巳勒約(第二次日韓協約)から亡国につながった。

ロシアは大国だった。新興国日本は圧勝した。予想を打ち破る結果だ。決定打はロシア・バルチック艦隊の壊滅だ。それは東郷平八郎の対馬海戦の勝利だ。その背景に英日同盟があった。欧州のバルチック艦隊(38隻)が東海(トンへ、日本名・日本海)に行きつくまでには7カ月がかかった。英国はロシアを牽制した。英国は自国の植民地寄港を拒否した。石炭の供給要請を無視した。バルチック艦隊は気力を失った。

英日同盟はロシア南下の共同抑制だ。ロシアの野心は英国を刺激した。英国は中国(清国)での利権を守ろうとした。1902年1月、ロンドンで同盟が結ばれた。条約の核心は「英国の権益は中国と関連している。日本は中国での権益とともに朝鮮に対して特別な利益を持っている」。英国外相のランズダウン(Lansdowne)は不満そうだった。彼は「同盟の利益は日本の方が多い」とした。だが、条約内容は維持された。日本の決議ははっきりしていた。「日本がロシア南下を阻止する。代わりに英国はわれわれを支援してほしい」というものだ。その確約は英国を説き伏せた。英国外交は同盟の破格を選択する。それは日本外交の快挙だ。


【コラム】安倍外交の反撃モデル(2)

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