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【コラム】シュレーダーの教訓=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.05.29 15:37
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米国の神学者ジェームズ・クラーク(1810~1888)は、小政治家(Politician)は次の選挙を考え、大政治家(Statesman)は次世代のことを考えると話した。クラークの基準から見れば先週、済州(チェジュ)フォーラムに参加したゲアハルト・シュレーダー元ドイツ首相は大政治家だ。彼が首相に初めて選出されたのは1998年だ。2002年の総選挙で彼は社会福祉を削減しないという公約を前面に出して再執権に成功した。

しかし2001年に景気低迷を少しの間体験したドイツに再び低成長・高失業・内需不振・輸出減少を伴った第2の景気低迷が襲った。欧州経済の牽引役を果たしてきたドイツが「欧州経済の病人」へと転落していた。ドイツ病は構造的なものだった。それは硬直した労働市場と政府の市場介入、企業活動の規制、過度な社会保障制度、統一後に1兆ドルを注ぎ込んだ統一費用が原因だった。こうした政策はワイマール共和国以来の強大な労組の支持を基盤としたドイツ社会党(SPD)の理念に合致したものだった。ワイマール共和国自体が労働者・軍人評議会(Rat)が社会党を前面に出して樹立した政権だった。

西ドイツ時代や統一後のドイツで社会党が社会保障を縮小して市場介入を最小化し、硬直した労働市場を改革する“中道クリック”は政権をかけたギャンブルだった。シュレーダーはその苦難の道を選んだ。彼は次の選挙での敗北を覚悟して次世代を考える、ヒトラー時代を飛び越えたワイマール共和国以来の歴史的な改革に着手したのだ。それが2003年に発表した「アジェンダ2010」だ。総選挙を2年後に控えた時だ。小政治家が怖気づいて思いつきもしないことをシュレーダーは敢行した。

それが、たとえ世論が反対しても次世代、国の未来のためには正しい道だと考えられる政策を果敢に推進するコントラリアン(Contrarian)リーダーシップだ。コントラリアンは大勢に逆行するという意味で、“票ピュリズム”とは反対の路線だ。社民党の左派陣営が反発して労組がゼネストを威嚇したのは当然だった。シュレーダーは社会主義の背信者という非難を受けた。

シュレーダー政権の財務相ハンス・アイヒェルは社会的に人気のあるわけがない措置を取った。所得税を25%減らし医療支援費を削って、年金と失業手当を大幅に削減した。年金受領年齢を65歳から67歳に引き上げた。これは欧州連合(EU)が採択したリスボン戦略と軌道を共にする市場自由主義路線だった。「アジェンダ2010」という名前も、リスボン戦略実行の締め切り年度である2010から取ってきたものだった。これはドイツの各種社会福祉の支出を戦後初めて最も大幅に削るということだった。社会党中で反乱に近い反対が起きた。シュレーダーはアジェンダ2010を阻止すれば後任首相を指名しないで辞任するという威嚇で対抗した。ケルン・ベルリン・シュツットガルトで50万人が抗議デモを行った。労組がストライキできないのは政治的な動機ではストライキができないという憲法規定のためだった。
【コラム】シュレーダーの教訓=韓国(2)


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